あるがまま、ならぬゴルフの不思議

春からゴルフを始めた諸君も、「あるがまま」がルールの基本だと先輩から吹き込まれて、戸惑ってはいまいか。

インプレイの球は触らないという原則はわかりやすい。ティーショットを打ったらインプレイ。それが空振りでも、打つ意思があったのだからインプレイ。ティーアップし直したらワンペナ、という具合だ。

あるいは、必要なスタンスをとるため以外に、植物や固定されたものを動かしたり、曲げたり、折ったりしてはならないし、どんなものも地面に押しつけてはならない、という規則も頷ける。

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一方で、自分の球のそばに気になるものがある場合、固定されていない、成長していない自然物なら拾い上げてどけていいし、動かせる人工物は動かせる。

動かせない人工物ならニアレストポイントからホールに近づかないワンクラブレングス内にドロップできるし、カジュアルウォーター、修理地、穴掘り動物による穴と土の盛り上がりと排泄物からも球を動かして逃げてよい。全部ノーペナだ。

ただし、これらの措置はハザードでは例外となる。つまり、救済が受けられるようになっている理由は、公正の理念、つまりフェアじゃないということなのである。でも、我々としてはちっとも「あるがまま」ではないじゃないかという気分にもなる。あっちこっちに球が飛ぶダファーとしては、それぞれの場面での対処法を憶えるのはたいへんなのだ。

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もちろん、ルールによる救済を受けずにそのまま打つ、「あるがまま」にプレイする、という余地は残されているけれども、フェアであるための救済、と言われれば考えさせられるし、選択肢の一つに過ぎないとなると、「あるがまま」はプレイヤーにとっての基本的価値観とはなりにくい。

話は変わるようだが、曲げた球が野草の可憐な花のそばにあって「打てない」と判断したプロの話がある。甘ったるい感傷と嗤う人もいたかもしれない。それはともかく、「あるがまま」を放棄する権利は一打を支払えば球を動かせるという“アンプレイアブル”という救済措置として1920年代から規則書に載っている。

通常は球が藪の中にある時のように仕方なしに適用されることが多い。しかし、その理由は不問である。たとえば深いバンカーから脱出できそうもないとなれば宣言できる。「打てない」理由は個人的な問題なのである。

そもそも打つ意思なく打ってしまったらノーカウントなのがゴルフだ。「あるがまま」を前にして我々が問われているのは、そのまま打てば打数が嵩み、時間もかかり、コースの破壊、怪我といった事態を招かないか、自分の力量をよく見つめること、そして打とうという確固たる意思、なのである。

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ともあれ、諸君もいずれ「あるがまま」を愛し始めるだろう。それは、コースに挑み、ベストを尽くしながらも、行く手に待ち受けるすべてを受け容れる気構えであり、運も不運も呑み込んで白い球に対峙する潔さだ。おおらかなこの言葉のなかに自分なりのゴルフを見いだすとき、われわれが知るのは、偽ることの出来ない自分自身なのだろう。

 

(月刊ゴルフダイジェスト誌2015年6月号掲載)

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