ボギー大佐

秋空の下、子どもの運動会でボギーへの親近感が深まる。かの行進曲はイギリスのケネス・J・アルフォードことフレデリック・J・リケッツ作だ。彼の評伝を書いたジョン・トレンデルによると、陸軍で軍楽隊を率いてスコットランドに駐屯中の1914年、インバネス近郊フォートジョージ基地の風の強いゴルフ場で生まれた。

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ゴルフでは打つとき前方に人がいれば、注意を促すために「フォー!」と叫ぶのが習わしだが、運動がてらに歩いてきたリケッツに気づいたプレイヤーは代わりに口笛を吹いた。そのB♭とGの下がる2音を聞くやリケッツの音感が反射のように呼応して4小節ができあがり、後には不屈の精神の象徴として、ヒットラーにはひとつしか玉がない、という歌詞もついたのだった。

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お化けを意味するボギーという言葉自体がゴルフ用語になったのも歌がらみで1891年のこと。当時、ロンドンのミュージックホールで人気の劇中歌、「ボギーマンが来るぞ!」に由来する。ゴルフは元来、同伴の相手との勝負だったが、各ホールの標準打数を定め、その数字を仮想の対戦相手とする競技方法がコヴェントリーで考案されて好評を博していた。やられっぱなしで終わったゴルファーが、「このプレイヤーは、たいしたボギーマンだな」と言ったのが広まった。

ほどなく、軍人たちを会員とするハンプシャーのクラブで元海軍指揮官が興をそそられて言った。「目には見えないが新メンバーとなった彼は、決して過ちを犯さない。まったくもって司令官たるべき人物だから、大佐に違いない。」こうして、以後、ボギー大佐と紹介されるようになり、リケッツも題名に戴いたわけである。

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ボギーは好天に上級者が妥当なプレイをしたときの打数であり、そのホールに固有の実際的な標準値だった。一方で、より客観的な尺度でプレイヤー同士の実力やコースを比較するため、ホールの長さによって一律に基準打数を決める方法も採用され、価値やレベルの同等であることを意味する「パー」がゴルフ用語に定着した。全米ゴルフ協会は1908年から独自にパーを使っており、緩い数字になることも多いボギーは、米国ゴルフが黄金時代を迎えるとともにパーより一打多いスコアの呼称に納まってしまった。おかげで、大佐は私のようなダファーの友となった。

(2012年10月25日付毎日新聞夕刊掲載)

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