春の嵐に見舞われたマイアミで、ティーショットを激しく右へ飛ばしては地面を叩くタイガー・ウッズを見ながら、かすかな同情を感じ始めた自分に戸惑った。
私はウッズが不倫発覚から4か月で復帰したことに依然としてわだかまっていたからだ。
たとえば母クルチダさんの故国タイへ行って仏門を叩き、しばらく托鉢をするというような明確な行動があってしかるべきだと、いまも私は思っている。
しかし、考えてみればウッズの極めたのはゴルフであって、倫理ではない。
期待し過ぎていたのではあるまいか。ウッズに、というよりゴルフに。
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ゴルフから大事な事を学んだと感じる人は多いだろう。それはゴルフの貴重な恵みだ。
ただ、我々はそれを多くの人と分かちあいたいあまり、ゴルフに何かを背負わせてはいないか。
ゴルフの本質的な価値は個人的なもので、他者に求めるのは余計なお世話ではないのか。
完全無欠に見えたウッズの現実は我々の幻想からゴルフを解放したのかもしれない。
そもそもゴルフは、それをすること自体で完結する目的であって、人間を立派にする手段ではない。
ゴルファーが何をしようとゴルフのせいではないし、ウッズの実生活の嘘やごまかしがゴルフにもち込まれたこともなかった。
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そうだ、ゴルフに人生はもち込めない。だからゴルフではつねにスコアが最大の価値なのだ。
年齢も性別も、富も名誉も私生活も無関係。我々ゴルファーの倫理はそこにある。
フロリダの夕暮れは最後まで明るい。練習場で、一瞬の挙動を制御しようと、そこへつながる動きをたどるように打っているウッズを眺めた後、ふと、
「スウィングはゴルファーそのもの」
という考えが頭に浮かんだ。
贖罪とか禊(みそぎ)とかいう言葉にはどうも真実味がないな。いま、自分自身を改造しているのなら、とにかく成功を祈るよ、タイガー。
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(2011年6月号月刊ゴルフダイジェスト誌掲載)
[ 幻想からの出発 ]
ロッカールームで、従業員に暴言恫喝した選手がいた。それをとあるOBが非難してマスコミと大衆がのった。いわゆる数を頼んでの一方的社会的制裁。
その正義派風OBは、例えばひき逃げ・放火・幼児誘拐など、もっともっと罪深い奴を叩くかというとなにもしてない。知名度を利かせた犯罪防止運動も聞こえてこない。
選手に反省を促すなら、関係者なり保護者から注意させれば済むこと。
どの業界でも起きてる(毎日何千何万あることやら)些細なマナー違反。
お茶でもして「君、ダメ」で完了。とっても簡単なことを策に溺れてダボったりと、似たようなことしております。
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[ 幻想からの出発 ]
そんじょそこらの先生キャプテン大統領俳優キング釣師焼肉屋銀行マン社長博士市長、世代も業種も性別も人種も問わず、やる、やってくれる不倫、浮気、助平道。
同業者の掟破りは許せないのか。球遊びの同業者だけさらし者。個人を狙い撃ちにして制裁する厳しさ。さっぱり理解できません。
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