WIDOW’S KISS

 高校時代のクラスメートの海江田一詩が自分のFBでカクテルを紹介しているのを楽しませてもらってる。「今夜はどんな酒かな」と、いまや心待ちにしていたりするくらいだ。ただ、投稿はほぼ毎晩と言ってもいいほどなので「奴のカラダは大丈夫か」と同じく同窓の仲尾淳一が心配していたが、まあ「休肝日」も入れているような気配だし、1日一杯ならいいのだろう。

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 カクテルというとまず思い出されるのは亡父だ。北海道出身、予科練で終戦を迎え横浜で運輸会社に就職して勤め上げた親父は、戦後の横浜で30過ぎまで独身を楽しんでいた。飲み歩くだけでなく自宅でも飲んでいたようで、その頃揃えたカクテル用具一式が僕の子どもの頃もまだ残っていた。ファンシーなグラスが台所の戸棚には並べられていたし、子ども心には使途不明だったシェイカーやジガー、マドラーやねじれたスプーンがあった。コースターをメンコ代わりにして遊んだ記憶がある。グラスに添えるプラスチック製のカクテルピックも遊び道具になった。色とりどりの椰子の木や動物や裸の女性をかたどったものなんかがあったのを思い出す。

 1980年代からバブル景気時代にもカクテルブームはあったような気がするしトム・クルーズの映画も見たが、僕自身はビールばかり飲んでいてお洒落な酒には縁がなかった。

 ともあれ“海江田バー”ではカクテルの世界の楽しさをあらためて教えてもらっている。バーチャルだから実際には飲まないのだが、彼の作る一杯を勧められた気になってあれこれ想像しつつ「飲んで」いる。写真を見せてくれるし、レシピと彼の所見も添えてくれるので、乏しい体験や知識を総動員しながら「飲む」。色合いを愛で、香りや微妙な調合の妙を「味わう」。酒の新たな世界が開けたような気がしている。夜毎これを続けているうちに「酔える」ような気がしてきたのだ。実際に彼に会えばとことん飲ませてくれるだろうが,僕はフロリダにいてパンデミックだから身動きが取れない。窮余の策のようなものだが、おかげで「想像飲酒」を試みる余裕もあるわけだ。ともかく想像上の酒で酔えるなら愉快。マスター海江田に感謝。

 ところで、ある晩の彼の一杯は「Widow’s Kiss」という名前のカクテルだった。例によってあれこれ想像しながら飲ませてもらったが、その味(想像上の)も名前も沁みて後日まで僕の中に残っていて、ひとつの歌になった。
               (2020年11月13日)

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