全出場者の全ショットを生中継!

メディアに関しては、我々はこの30年というもの画期的なことに慣れてしまって多少の事では驚かなくなっているが、去年、この発表があったとき私はやっぱり驚いた。2020年3月のアメリカPGAツアーの旗艦イベント、プレイヤーズ・チャンピオンシップで、全競技期間中の全出場者の全ショットを生中継するというのだ。ゴルフを見ない人には大した意味を持たない事だろうが、ついにそういう時代が来たかという感慨も湧いた。

ゴルフは競技進行状況を、テレビがあって初めて把握できるスポーツだ。インターネットも含めた新たな配信も主流になりつつあので、ここでは従来とは異なる括りで「テレビ」と呼ぶことにするが、ゴルフでは通常120〜150人を超える大人数のプレイヤーが18ホールもあるコースに出て行って各所同時進行で小さな白い球を打つので、一人の人間がその全てを見届ける事は不可能だという点で他のスポーツとは異質だ。そこをテレビが多数のカメラを配置してわずかな時間差で録画再生をつなぎながら「生中継」してくれるので、我々は現地のコースにいては体験できない「試合観戦」が可能になっている。プロゴルフはもはやテレビなしには成立しないと言っても言い過ぎではない。

しかし、我々がこれまで観てきているのは出場者とそのパフォーマンスの全体から見ればほんの一部でしかなかった。ディレクターが捌いて選んで切り貼りして見せてくれる映像だからだ。当初は了解されていたが、満足できない視聴者も増えてきて、ひいきのプレイヤーの姿が映らなかったり、誰かのすごいショットが見逃されたりすることに不満が出る。その不満の解消法は究極的には「全出場者の全ショットの生中継」だ。

もちろん、従来のような「エッセンスのパッケージ」としての中継形態は視聴しやすいし大枠を把握するのに便利だし、なくなることはないだろう。しかし、特定のプレイヤーを余さず観るという視聴が可能になるならば画期的だ。

フィールドが144人で始まる4ラウンド72ホール競技なら、ハーフウエイで65人にカットされたとして、全員のスコアのラウンドのスコアの平均が72だと仮定すれば全部で3万打強。それをすべて撮るとなれば120台のカメラが同時に稼働する必要があると見積もられている。私はその歴史的な試みの中継にアナウンサーとして関わる。なんたる光栄かといまからアドレナリンが体内を巡るのを感じているが、さあ、はたしてどんな中継となるやら・・・

ともあれ興奮を抑えつつ、そもそもゴルフにとってテレビはどんな歴史を歩んできたのか、この機会に軽く概略を紹介しておこう。参考文献はCurt SAMPSONによる『The Eternal Summer(1992, Taylor Pub. Co., USA)』だ。1960年の夏を描いた好著で、私は自分の生まれた年でもあるので貪るように読んだ。

アメリカでのメディアゴルフ事始め

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スポーツ競技会のテレビ中継の歴史は1939年4月13日、NYマンハッタンのColonial Baker Field で行われたコロンビア大学対プリンストン大学のフットボールの試合に始まる。たった1台のカメラによる中継だったが、ゴルフはいつアメリカのテレビに登場したのだろうか。

アメリカの人口は50年代に著しく増加し、1億5,130万人から1億7,930万人になった。人口増加率は史上最高の18%。その50年代にテレビの普及率は急速に拡大し、1950年には8%に過ぎなかった世帯普及率が1959年には88%となっていた。そしてテレビは、娯楽と政治に決定的な変化をもたらした。とくにテレビによって著しく発展したのはスポーツだった。

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全米規模でのゴルフ中継は1953年8月23日、シカゴのTam O’Shanter G.C. で行われた”World Championship”が初めての試みだった。ネットワークの一つABCが、18番グリーンの奥に広角レンズの固定カメラを据え付けて放送した。試合はLew Worsham がフェアウエイからウエッジによる長いショットを直接ホールに放り込むシーンもあって盛り上がり、そのWorsham が一打差で優勝して賞金2万5,000ドルを獲得した。最後の一打は「世界中に鳴り響いたショット(The Shot Heard ‘Round The World)」と言われた。アナウンサー役をつとめていたJimmy Demaret がそのとき平静を失って「The son of a bitch went in! (ちくしょう、入っちまった!)」と叫んだのが放送で全米に流れてしまったというエピソードがあるからだが、初のゴルフ中継は64万6,000世帯が視聴し、成功だったという。

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興味深い事実がある。そのWorld Championship の主催者であったGeorge S. May はABCに対して、試合の放送料金として3万2,000ドルを支払った。翌1954年にABCはその試合を無料で放送した。その後、1960年までの5試合は、今度はABCが主催者側に「放送権料」として年間15万ドルを支払っている。そう、テレビはゴルフの中継は儲かる事を発見したのだった。1954年には全米オープンの中継が始まり、1955年にはマスターズが、そして1958年にはPGAチャンピオンシップの中継が始まっている。

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当初は未だカラーではなかったので芝の緑や空の青さも映らず、しかもゴルフは広いコースで同時に大勢が小さなボールをはるかかなたに飛ばしあい、他のボクシングやフットボールといったメジャースポーツと違って走ったり、跳ねたり、タックルしたり殴りあったりする事もなく、制限時間の緊迫感もない。中継機材も技術も未開発で、コメンテーターも放送中に誰が首位にいるのか分からない事がしばしばだったという。

ちなみにスコア集計システムを画期的に変えたのはマスターズだった。トーナメント運営委員長のCliff Roberts はAugasta National GCの近隣にあるFort Gordon 陸軍基地の協力を得て、軍用優先電話を使ったという。

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ほかにフィルム撮影によるテレビ番組シリーズであるAll-Star Golf が1957年に始まり、Bing Crosby Pro-Am の中継は1960年に始まった(ともにABC)。

日本では1957年のカナダ・カップ開催がその後のゴルフ・ブームを呼んだといわれるが、それにはテレビ中継が大きな役割を担っていた。日本テレビが十数台のカメラを動員し、4日間の大会を午前9時から夕方まで完全生放送を敢行した。日本初のゴルフのテレビ中継だった。

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