さよならで始まる鎌倉

 横須賀線は緑のトンネルをくぐり抜けて駅に滑り込む。13歳から15歳だった1973年春から76年春まで、僕は鎌倉の中学に通っていた。桜並木が少しずつ狭くなっていく段葛、大きな鳥居と太鼓橋、源平池の脇を通ると校舎が見えてくる。身長が伸びると信じていた生徒たちの一人として毎朝、授業の前に体育館でバスケットボールのシュートに興じていたので早起きだった。

 まだ空気の動かない夏の朝。源平池のほとりに来ると、立ち込めた蓮の匂いについ立ち止まる。源頼朝に命じられた静御前が都落ちの義経を想いながら舞ったという話に惹かれた。蓮の匂いは爽やかで花も清々しいが、僕は子ども心に一種の官能的なときめきを感じた。

  しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな (静御前)

 小町通りから寄り道をしながら帰る時もあった。材木座まで歩いて海岸へ出ることもあった。海を見ながら登下校する江ノ電沿線の友人たちがうらやましかった。極楽寺には憧れのチャコがいたなあ。大町に住んでた谷沢浩美ちゃんはいまどうしてるだろう。40数年を経たいま、忘れてしまった思い出は多いだろうと感じるのが残念でならない。

 中学3年生の時、『鎌倉』という歌を作った。翌年、ラジオの深夜番組で取り上げてもらえたとき、パーソナリティーの作詞家、かぜ耕士さんが「歌詞にひとひねり欲しい」という批評をしてくれた。渚ゆう子の『京都の恋』を例にあげ、「白い京都に雨が降る」という簡潔なフレーズだけで古都のイメージ、情緒、エモーションが喚起されるではないかとかぜさんは言った。そのコメントは、15歳の僕にとって、何を描写するのか、何を歌うのかを考え直させるに十分だった。44年後のいま、その録音テープを聞いて、僕はあらためて鎌倉への思いを歌い直してみようと思い立った。

 僕にとって鎌倉はさよならの街だ。鎌倉にずっと住んでる我が友人たちにとっての鎌倉は、鎌倉に通っていただけの僕にとっての鎌倉とは、ずいぶん違うだろう。3年間通った後で鎌倉にさよならを言った僕には、さよならを言ったから、懐かしい。鎌倉に住んでる人を羨ましくも思うが、さよならを言った僕にとっての鎌倉は、住んでる人には味わえない特別な気持ちをいだかせる街になった。だから、ずっと住んでる人と同じくらい、僕も幸せだろう。は、出来上がってみるとやはり紋切り的イメージの断片がはいりこむ。その後の44年があるから、それらはすべて感慨深いには違いないのだが、どことなく懐古趣味のオヤジ臭がするなあ。てかジジイっぽい? そうさ、もうすぐ僕らは還暦・・。

(2019年2月5日)

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