ROCKY

S・スタローンの映画『ロッキー(1976)』を観たのは高校2年の終わり頃でした。翌朝から私は夜明け前に起きて冬の町を走り始め、生卵を飲んで腕立て伏せをしてました。私にとっては、その後の人生を左右した映画だった。自分が何をしたいのかがはっきりせず、そのことに漠然とした不安も感じていた私は、あの映画を観たあとで、体育学を学ぼうと志したのです。水泳部のキャプテンだったのでトレーニングやスポーツ科学についての関心はありましたが、大学で勉強したいと思ったのは映画がきっかけでした。その頃に作ったこの歌は、だから私の中でいつも真面目に響くんです。

のちにフィジカル・フィットネスを人に説く仕事に就いてから、依頼されて書いた原稿を以下に再録します。更生施設にいる少年向けの新聞と聞いて、私はロッキーのことを書こうと思ったんですね。

●映画『ロッキー』の教え
 皆さんは『ロッキー』という映画を見たでしょうか?
 その日暮らしのように無為に過ごしている青年が、ボクシングを通じて自分を試し、そのチャレンジによってプライドを取り戻し、愛をつかむというストーリーです。ラストの壮絶な殴り合いは圧巻でした。そうした筋書きは、自分に当てはめるにはあまりに単純すぎますが、私はこの映画からずいぶん大事なことを学んだと思います。
 チャンピオンと対戦するチャンスが降ってわいたように訪れるという設定は映画ならではのことですね。主人公はかつては有望な選手でしたが、あまりパッとしない成績のままボクサーとしてのキャリアを終えようとしていました。しかし、これまで本気でボクシングに取り組んだことがあったろうかと考えます。そして、試合にチャレンジします。相手は無敵のチャンピオン。ボクシングというスポーツは孤独です。最後は一人の闘いですが、主人公は周囲の助けを素直に受け入れます。そして、自分に何ができるのかを見極めようとするように、激しいトレーニングをします。「もしも、最終ラウンドのゴングが鳴るまで自分の足で立っていられたら・・・」
 最後は映画を見ながら思わず「がんばれ!」と叫んでしまいましたが、そうした感動のストーリーとは別に、私にとって最も重要で、大げさに言えば私の人生の「原理」になったのは、主人公のロッキー・バルボアがチャレンジし、努力する過程で何をしたかということです。
 毎朝、早く起きる。
 食べる。
 走る。腕立て伏せをする。
 なんだ、そんなことかと言わないでください。ひとりの人間の人生で大事なことはすべてここから始まるんだ私は思います。もちろん、ボクシングが舞台ですからトレーニングは当たり前と思われるでしょう。しかし、たとえその人の「挑戦」が何であれ、努力の出発点はいつでもここにあるのです。
 スポーツでなく、例えば仕事上の大きな目標や、あるいは自分の好きな趣味や、社会奉仕のボランティアや、たとえどんなチャレンジであるとしても、その人が本当に実現しようと思い立ったなら、まず最初にすべきなのは自分のからだをしっかりさせること。何をするにも、からだの調子が良くなければ思う存分にできないのですから。
 世のため人のために何かをすることを目指しても、自分のからだを犠牲にして尽くすというのでは結局、人のためにならないのです。からだがダメになってもがんばるというのは、その時はひどく美しくて崇高なことのように評価されがちですが、そういう社会は最後は滅びてしまうでしょう。それに、自分のからだのことを無視したやり方をするのは、結局のところ本当に成し遂げようという気持ちが弱いんだと言わざるをえない。倒れるまで頑張れば褒め称えられるでしょう。でも、意地悪な見方であることを承知で言えば、倒れてしまえば苦しみから解放されるという「逃げ」の気持ちがどこかに潜んではいないでしょうか。
 「からだ」がその人自身であることは間違いありません。もちろん、外見がすべてであると言っているのではありませんし、ロッキーを演じたS・スタローンという俳優のように筋肉隆々にならなくてはいけないなどと言っているのではありません。大事なのは、自分が心からやり遂げたいと願うことがあったら、まずすべきなのは「自分のからだのために何かをする」ことだと言いたいのです。
 朝、早く起きる。きちんと食べる。走ったり、腕立て伏せをする。すべてはここから始まるということを『ロッキー』は教えてくれました。
<『わこうど』、1994年6月号掲載>

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