2015年は春先から闘病の年になった。3月20日夜に入院し、翌朝から最初の段階の化学療法が始まって6月初めまで続いた。何度か一時帰宅が許された後、ドナーが見つかって7月に骨髄の造血幹細胞移植を受けることができた。抗がん剤の副作用についてはいろいろ聞かされていたが、体力のおかげで軽くてすんだ方だっただろうと思う。もちろん快適な要素はないが、しかし時間はあったので、気をそらすことに集中していた。そういうときには音楽や映画が一番。ユーチューブのおかげで夜は昔の日本映画を、とくに小津安次郎作品は原節子に惹かれてほとんど観た。原節子が横浜の保土ヶ谷出身だと知ったこともあってすっかりファンになったので、その年の9月に亡くなった時にはショックだった。
病室から昼間の緑濃い景色を見ていたある日、頭の中に響いていた歌があった。Celtic Womanのライブアルバムのなかの『Sing Out』だった。眠られないついでに日本語の歌詞をでっち上げて、それから二、三日、ひそやかに歌っていた。自分を元気にしたい、しゃべるのが職業だからいつでも声が出るようにしておきたいという理性もあったし、実際、歌うことは効果があったと思う。