ダブスドレッド :へぼゴルファーの恐怖

睫毛からしずくが滴り落ちるのではないかと思うくらい湿度の高いフロリダでも、早朝のゴルフ場は清々しい。家から30分程度で行ける場所にコースがあることは、すごく大事なことのように思える。30ドルを支払って1番ティーへ行くと、一緒に回ることになる3人が揃っていた。

「どうだい、今日は?」

仏頂面だった老人が笑った。

全米有数の観光地であるオーランドにはリゾートコースがたくさんある中で、このダブスドレッドGCはダウンタウンに寄り添うような場所で地域住民の慰安と喜びの場となっている市営コース。開場は1924年で、大戦後の一時期にはベン・ホーガンやサム・スニード、トニー・ペナが覇を競った舞台だった。その頃の常連には、シカゴのコグヒルCCを買い取ったジョー・ジェムセックや、アリス&ピート・ダイ夫妻もいる。

From Birdies To Bankers 戦後の米コース設計界の第一人者たるピート・ダイは、陸軍パラシュート部隊を退役したあと、ほど近いロリンズ・カレッジの学生として、毎日のようにここでプレイしていた。アリス夫人とはここで出会って、以後、夫婦で数々の名コースをデザインすることになる。夫人の『FROM BIRDIES TO BUNKERS(2004)』と題するキュートな本のなかに、なれそめが語られている。大戦が終わった1945年、復員してきたピートが学生会館の食堂で並んでいるところをアリスが見初め、「かなりいかしてる」と思ったという。アリスはそのままキャッシャーまで後を着いていくが、声をかけるには至らなかった。しかし翌日、いきなりダブスドレッドの練習場で出くわして、そこから付き合いが始まった。

ピートはいたずら心から突飛な行動に走る傾向があったようで、学友組織の集会でふざけて消火栓から放水してみたり、友だちと賭けをして橋の上からタンパ行きの貨物列車の荷台車に飛び乗ってみせたりした。オーランドから南下する列車は、手つかずの砂地の続く風景の中を走る。もしかしたらそれが、ピート・ダイ設計の原型的なイメージとして、枕木やウエイスト・バンカーのアイディアにつながっているのかもしれない。卒業後、アリスの実家のあるインディアナポリスで保険代理の仕事をして成功していたダイは、より意味のある人生を送りたいと考え、1959年にコース設計家となった。以来、半世紀以上にわたりゴルファーの試練たる難コースを造り出してきた。

ともあれ、ダイにとって、もっともノーマルな気晴らしは、授業をサボってダブスドレッドでゴルフをすることだった。気晴らしというのは、何も考えないことだ。戦争が終わって、兵役を解かれた19歳の若者が、毎日のように無心に球を打っていたというのが、このコースの歴史なのだ。ダブスドレッドには、そんな時間の流れがいくつも折り重なってどこかに沈殿していて、ときどきふわっと漂い出てくるのを感じる。

(2011年12月号月刊ゴルフダイジェスト誌掲載)

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