
世界中で愛された漫画“ピーナッツ(PEANUTS)”では、野球やフットボールをはじめスポーツが頻繁に題材となる。なかでもゴルフは、作者のチャールズ・シュルツ(Charles Monroe Schulz:アメリカ、1922〜2000年)自身が好んでプレイをし続け、新聞日曜版で全国デビューする1952年以前から没年まで、つねに題材に取り上げられてきた。
チャーリー・ブラウンやビーグル犬のスヌーピー、ルーシー、ペパミントパティー、マーシー、あるいはウッドストックたちは、プレイヤーに、キャディーになる。彼らはゴルフに真剣に取り組みつつも、いたずら心を大いに発揮してみせる。重力を感じさせない軽やかな絵と構図、そして彼らのセリフが笑いを誘い、ときにはキツイ皮肉も飛び出すが、絵の可愛らしさが悪意のなさを納得させるのはこの漫画の品格といえるだろう。
ゴルフは明らさまに我々の生活のメタファーとして描かれる。しかし、折りに触れて何度か味わい直すうち、我々は少し考え直す。ゴルフが人生に似ているのではなく、人生がゴルフに似ているのでもなく、実際のところゴルフは生活の一場面として欠かせないだけで、それ以下でもそれ以上でもない、というようなことを。シュルツの絵や言葉を通して、我々はふんわりとした啓示を受けたように、何やら得したような気分になって、ゴルフをしていてよかったなと思ったりする。
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“Rats!(ちぇっ!)”
シュルツはミネソタ州ミネアポリスで生まれ、カリフォルニアに住んだ。ゴルフは、9歳のときにボビー・ジョーンズの映画『How I Play Golf』を見て以来、ずっとプレイしたいと思っていたのに、周囲に誰もプレイしている人がいなかったから実現できなかったらしい。ついに15歳のとき、木製シャフトの古いクラブセットを借りて友だちと朝5時半にセントポールの市営コースへ行ってプレイした。スコアは156だったという。
4か月後には79を出した。翌年、高校へ入学してゴルフ部に所属し、他の活動はさておいてゴルフに没頭。キャディーのアルバイトもして、18歳のときにはミネソタ州セントポール市のハイランドパークで行われたキャディー・チャンピオンシップで優勝。それが生涯ただ一度の優勝だった。全米オープン予選には2度挑戦したが叶わなかった。後年、ペブルビーチをはじめ各種プロアマにも出た。
「全米オープンで勝ってみたいと思っていたし、マスターズに出場できたらと夢見ていた」
「ビングクロスビー(ペブルビーチ・ナショナルプロアマ)に出ることは、全米オープン出場の次に素晴らしいことだ」
ゴルフの話に及ぶとシュルツはそんなふうに語った。1969年にカリフォルニア北部ソノマ郡サンタローサの西16kmほどの小さな町セバストポルに土地を買って移り住んだ。5人の子育てのためのゆったりした環境が欲しかったということだが、敷地にはミニチュアゴルフの4ホールのコースも造られた。
ゴルフはつねにシュルツの日常にあり、様々なインタビューの中でシュルツはゴルフを引き合いに出したり、見聞きしたプロたちの話を持ち出している。「フレッド・カプルスは電話には出ないことにしているらしいよ。理由は、もしかしたら自分と話をしたがっているかもしれないから、なんだってさ」という具合。サンタローサ・ゴルフ&CCのメンバーとして、毎週木曜日というのが晩年のパターンだった。


“It’s PAR for the course(よくあることさ).”
シュルツの描いたゴルフをまとめた『IT’S PAR FOR THE COURSE, CHARLIE BROWN(人生、そんなもんだよ、チャーリー・ブラウン)』が2005年に出版されている。序文を寄せたジョニー・ミラー(米ツアー23勝、全米、全英オープン優勝、現米NBC解説者)は、プロアマで一緒になって以来、プライベートでもプレイをともにしたシュルツのゴルフを「サム・スニードばりの滑らかなスイングでパター上手。なかなかのグッドゴルファーだった」と評し、「1番ホールで1mもないパットを外すや、“Rats!(ちぇっ!)”と舌打ちするので私は笑い転げてしまった。でも、彼にとっては笑い事じゃなくて本心からだったんだ」「チャーリー・ブラウンもそうだと私は思うけれど、彼には根っからの競技者魂があった」と書いている。


“救い”としてのゴルフ
シュルツにとってゴルフはどんな位置にあっただろうか。ある対談の中で、彼の描く子どもたちがときに退廃主義的であまりにニヒルであることか、と言われて、「子どもは生き延びるために精一杯で、だからとても残酷な面をもっている。そのパロディーのようなものなんだ」と、自分の子どもの頃を振り返りながら応じている。
「子どもは自分の小さな範囲の日常生活で楽しくやろうとしていて、そこには好ましい子もいるが嫌みを言ったりいじめるヤツもいて、楽しいことを台無しにされたりする。自分の暮らす世界のすぐ隣には大きくて柄の悪い子がいるんじゃないかと感じて、そっちには行かないようにしてたりする。みんなが自分たちのことを構わないでいてくれたときは楽しくやれたのに」
「ティーンエイジャーになってから、私はその小さな世界から出て、もっぱら漫画を読み、絵を描き、スポーツに明け暮れるようになった。私は野球が好きだったし、タッチフットボール、アイスホッケーもね。それでもまだ、ちょっとした事件は変わることなく起きた。意地悪なヤツが出てきてぶち壊しにするっていうような。私はただそれがイヤだった。ゴルフが好きになった理由のひとつはそこにあったと思う。コースに出てしまえば、自分の問題はコースとの取っ組み合いだから。それは大いなる救いだった」

あなたは58回もホールインワンをものにしたと新聞で読みました
私は一度もないのです。あなたも全部は要らないと存じますので・・・
つきましては、ひとつお送りくださいませんか
“GOOD GRIEF!(なんてこった!)”
「大事なことって何だろうって考える。もっとも重要なことっていうのは、とにかく自分が一番上手くできることをやることだと私は思ってる。だって、ほかに選択肢はないでしょう?自分の能力のなかでベストを尽くすっていうことなんだ」
シュルツはそうも言った。だからといって自らをむち打つ仕事の鬼だったわけではない。毎日、50年にもわたってシュルツが描き続けたスヌーピーたちを、ゴルファーが好きになってしまう理由はこれか、と納得できるコメントがある。キャラクターのライセンスなども含めて、年収は40億円にもなったというが、それでも彼は“ピーナッツ(PEANUTS)”を書くためのアシスタントを終世、雇わなかった。その訳を訊ねられて、こう答えた。
「それはアーノルド・パーマーが誰か人を雇って9番アイアンを打ってもらうのと同じことだ」
50年間で作品数は1万8000におよび、75か国21言語2600紙に掲載された。世界中で毎日2億人が同じものを目にしていたというのは、人類史上、シュルツのピーナッツ以外にほかにない。シュルツはいくつかの病気のために1999年末にペンを置き、2000年2月に亡くなった。

【引用出典】
1) Schulz at 3 O’Clock in the Morning. Gary Groth, 1997. Charles M. Schulz CONVERSATIONS(M. Thomas Inge 編)所収, Univ. Press of Mississippi. 初出はComics Journal, No.200, December 1997, pp.3-48.
2)Penthouse Interview. Jim Phelan, 1971. 前掲のCharles M. Schulz CONVERSATIONS(M. Thomas Inge 編)所収, Univ. Press of Mississippi.

