きょう開幕する全米オープンの開催コース、米ノースカロライナ州パインハーストリゾートは、日本のゴルフが頼もしいスタートを切ったゆかりの地だ。90年前の1924年、第20回スプリングトーナメントで赤星六郎が優勝したのである。秋には日本ゴルフ協会が創立されようという大正13年のこと。日本でのゴルフが駐留外国人のためのレクリエーションから公式に独立を宣言しようという矢先に、すでにゴルフ黄金期にあったアメリカで、並みいるトップアマを退けて日本人が勝っていたのである。
パインハーストではアマチュアの主要試合として毎年4月にノース&サウス選手権が開催されていたが、その前哨戦たるこのトーナメントも319名が出場した大舞台。プリンストン大学の学生だった赤星六郎は、本人曰く「何の気なしにエントリーして」、36ホールのストローク戦の予選を5位で通過。そこからのマッチプレイ一回戦ではボストンの強豪ラリー・パットンを19ホール目に破り、二回戦ではノース&サウス勝者のEC・ビオールを楽々と退けた。アマチュアの王者ボビー・ジョーンズは出ていなかった。パインハーストは1930年代半ばまでサンドグリーンで、それを好まなかったジョーンズは敬遠したと言われている。赤星は三回戦でウィリアム・マクフェイルに競り勝つ。マクフェイルは全米アマチュアでジョーンズを破った強者だった。赤星の絶妙のパッティングは新聞に「神秘的」と書かれた。
迎えた決勝戦の相手はオハイオ州のドナルド・パーソンズで前年度勝者。800人超の観客のためか、出だしはともにミスが出てぎこちないプレイだったが、赤星は2番ホールを見事なアプローチでものにするや3番、4番も取り、9番ではこの週唯一のスリーパットながらハーフとなって前半で4アップ。10番は取られるが、その後15番までパーを重ねて4&3で勝った。「ゴルフ界に新星登場」「体重185ポンドの偉丈夫が、つねに250ヤードのロングドライブを放った」という記事が全米各地の新聞にとりあげられた。全米プロを連覇して注目を集めていたジーン・サラゼンと並べ、「ゴルフに新時代。イタリアからサラゼン、日本から赤星の登場」と謳う紙面もあったのは、いま聞いても痛快な話だ。
赤星六郎は当時25歳。元薩摩藩の郷士で貿易に携わっていた父、赤星弥之助の命により、兄の四郎とともに19歳でアメリカへ留学。高校ではフットボールや野球に親しみ、大学へ進んでゴルフでもすぐに腕を上げ、難コースで名高いパインバレーGCのメンバーとなっていた。1925年に帰国して「日本オープン」の創設に兄弟で尽力し、1927年に実現した第一回大会で六郎が初代チャンピオンとなる。まだプロゴルフも創成期。プロたちでさえ赤星六郎のレッスンを受け、日本ゴルフは動き出した。その最初の駆動力は、春先のパインハーストで証明された赤星の世界級ゴルフだったのである。
(毎日新聞2014年6月12日付夕刊)