「そのとき最も優れている者が勝つべきだ、きょうは運不運に左右されすぎた」—連休前の強い風の吹いた韓国済州島での試合で、あるプレイヤーがそう言った。トーナメントは技量を試すものであって、グリーン上の球が動くような強風で試合を続けるのはアンフェアだと主張したのだった。競技は続行され、最終日を首位で迎えた彼は負けた。優勝したのは、皮肉にもグリーン上で球が動いて一打罰を受けたプレイヤーだった。
どこへ行ってもそれぞれ異なるコースで、刻々と変わる気象条件のもと、156人が時間差をおいて出て行って、生きている芝の上でプレイする。フェアウエイに先行者の残したディヴォット穴もあれば、ラフに芝のまばらなところもある。芝葉一枚に支えられて池に落ちずにすむこともあれば、突風にあおられてのOBもある。自然の要素は規格化しようがない。それはそのままゴルフのゴルフたる特性なのである。フェアか、アンフェアかなんて言うだけ野暮だ。
Embed from Getty Images
全米オープンがやってくる。舞台はニューヨークの公営コースで、7年前の開催時には10番ホールのティーショットがフェアウエイに届かないプレイヤーが出て議論を呼んだベスページ・ブラックだ。今年のフェアウエイはもっと近くから設定され、グッドショットで誰もが届くようになるが、全体の距離は伸ばされて508ヤードのパー4となる。飛ぶけど曲がる者と、上手でも飛距離の出ない者がいて、何がフェアなのかという問いかけへの一つの答えなのだろう。
考えてみれば、ハンディーキャップという仕組みは、フェアな勝負のためではない。コースに用意されているいくつかのティーも、ゲームをフェアにするための措置ではない。それらは、戦略を変えさせたり優劣をはっきりさせておくためのものであり、みんなで一緒に遊ぶための便宜に過ぎない。
ゴルフはフェアじゃない。こだわらず、受け入れることこそ、ゴルフのフェアプレイだという気がしてくる。運試しでも結構。そもそも、何のためにするのであったか。生活費のためなら同情するが、いまのところ私にとって、風で球が動いてもゴルフの楽しさはいっこうに動ずることはない。
(2009年5月14日付毎日新聞夕刊掲載)
*2012年規則改正によって、アドレス後に球の動いた原因がプレイヤーの所作ではないと明らかに分かる場合には無罰でそのまま打つことになっている。
[ ゴルフはフェアか? ]
90年代、ブラックを回っていた小説家。その凄腕氏からブルーへのお誘い。コテンパンにのされにとそそられたものの、毎度N.Yはやること(メニューにゴルフはなかった)いっぱい重ね餅。欲張りすぎて憧れのティーに立てずの残念賞。
風で球が叩き落されても、強風で球や体が動いても、「ゴルフの楽しさはいっこうに動ずることはない」。
“Me too”
いいねいいね: 1人