賞金は全額寄付します

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「賞金は全額、今後の中国でのゴルフ振興の基金に寄付します。中国でゴルフがもっと人々に支持されることにつながればと思いますし、ゴルフを始める若い人がもっと増えてくれればと願っています。お金の問題じゃないのです。私はゴルファーとして自分にできることをして、中国のゴルフを支援したい」

2007年3月、チャンギ国際空港に近いラグナナショナルG&CCで開催されたシンガポールマスターズ(欧亜ツアー共催)に勝った中国のリャン・ウエンチョン(梁津萬)は記者会見でそう言った。最終日は、少なくとも6人が優勝争いに加わっては脱落していく、まるでモグラたたきのような展開だった。右肩を傷めるのではないかと心配になるくらいフィニッシュがユニークな梁のスウィングは強さを秘めていた。最後はサドンデスプレイオフを制しての初優勝だった。

奇しくも同じコースで、ジャン・リャンウェイ(張連偉)がアーニー・エルスを破って欧ツアー初の中国人チャンピオンになったのは2003年。張は翌年のマスターズに中国人として初めて招待されて歴史はすでに刻まれ始めていたわけだが、1978年生まれの梁は文化大革命後の中国に芽生えたゴルフの申し子だ。

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中国ではアヘン戦争後、上海、アモイをはじめ5港が開かれてイギリスの貿易拠点となるや当然のようにゴルフコースができたが、毛沢東がゴルフを西洋の退廃の象徴と位置づけ、コースは消滅した。その後の改革開放政策によってゴルフが海外からの投資を呼び込むチャンスであると認識されるようになり、初めてコースができたのは1984年。香港に近い広東省の中山にアーノルド・パーマー設計でオープンした中山温泉GCである。梁はそこで15歳の時にゴルフに接し、中国アマチュア選手権を96年から3連覇するゴルファーになった。99年のプロ転向後は07年に亜ツアー賞金王となり、08年全英オープンでは中国人として初めてメジャーでカット通過を果たし、10年には全米プロで8位タイになっている。

「中山温泉GCに心から感謝したい。まるで母親のように面倒を見てくれた。試合に出るときには経費を出してくれた。私がいまあるのはクラブのおかげです。私は同じことを、中国のゴルフの発展のためにしたいのです」

自分の好きな道を追求できる自由な社会で、スポーツは人の心を打つ。挑戦や献身的努力に共感し、仮想の自分を見いだし、卓越した競技力のぶつかり合いのなかで勝敗の決まるさまに象徴的な価値を見るからだろう。ただ、自分の夢を追うことだけで賞賛される時代ではないとも感じる。キャリア初の高額賞金18万3千ドルを手にするや、それを全額寄付すると言った梁に、私は唸った。「恩返し」「世のため、人のため」と公言するプロがいてもいい。

(2013年12月号月刊ゴルフダイジェスト誌掲載)

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