去年、オーガスタ・ナショナルについたときにはすでに荒れた気配は薄れていたが、ジョージア州を通り過ぎていった前夜の嵐による停電の影響で、ピメントチーズ・サンドウィッチとエッグ・サンドウィッチを食べ損なった。わずか1ドル50ながら満足サイズ。ちなみにビールは3ドル。コースのもてなしに与れなかったようで残念だった。でも、この場所の美しさと難攻不落のグリーンはいつだって見に来る甲斐がある。
高速道路を下り、ダフ屋を横目に見ながら、駐車場を確保するまでの不安。テーマパークの如き入場門の厳重な持ち物検査を通過し、いざコースに脚を踏み入れるときの期待感。毎年必ずマスターズが開催されるというのは素晴らしいことだ。象徴という意味では、ゴルフ界に並ぶものはないだろう。年間グランドスラムを成し遂げた不世出のアマチュア、ボビー・ジョーンズの創設した試合なのだ。
言葉遣いにこだわりがある。マスターズ・トーナメントはチャンピオンシップではない。資格は明示されるが、招待されないことには参加できない。だから勝者はチャンピオンではなくウィナーだとジョーンズは言った。観客はパトロン。プレイヤーは三人で回る時はグルーピング。二人ならペアリング。芝の刈り高がフェアウエイより長い部分はセカンドカットで、ラフ(荒れた草地)ではない。バンカーは決してサンドトラップ(罠)などと呼ばれるべきものではないと、メディアは念を押される。「皆が使っているから、ま、いいか」となるのを、マスターズ委員会の良心はよしとしていないわけだ。
ともあれ、今年はテレビ観戦だったので少し距離を置いて眺められた。勝ったババ・ワトソンの破天荒なプレイぶりは痛快。手厚い指導によって育てられたエリートゴルファー全盛の現代ゴルフにあって、ナチュラルなものの強さを見たようでうれしくなる。勝利のパットを沈めた直後に泣き出してしばしキャディーと抱き合っていた姿にもその無垢さが表れ、我々は感動的と捉えていたはずだ。
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ボビー・ジョーンズが生きていたら、もちろん暖かなまなざしで見つめたことだろう。ただ、後でやんわり戒めるかもしれない。泣く前にまず1対1のプレイオフを戦ったルイ・ウーストフイゼンに向き直って、健闘を称えあわなくてはダメじゃないかと。ジョーンズはゴルファーとしての精神の成熟を願っていたのだ。
会員を男性に限るオーガスタ・ナショナルは矢面に立たされている。私的クラブであっても、その象徴性と社会的存在感から女性差別のそしりを免れることはできないからだ。しかし、そうした現代的課題よりも、このゲームで元来重視される規範を守ることの方が優先順位は高いかも知れない。マスターズを別格のメジャーとして存続させる力は、毎年の春、球聖ボビー・ジョーンズの求めたゴルフを普遍的原型として提示する、という姿勢への我々の共感にほかならない。
(2012年7月号月刊ゴルフダイジェスト誌掲載)
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