9月に米国ツアーの最終戦に勝って144万ドルの賞金と年間総合優勝のボーナス1千万ドル(約10億円)をものにしたヘンリク・ステンソン(スウェーデン)は「金額よりも、世界最強のフィールドで全員をうち負かしたことが私にはうれしい」と言った。日頃は皮肉屋の彼も、2度目のスランプから抜け出して頂点を極めたことを素直に感激していた様子だった。
10億円とはおよそ一般ゴルファーにとって現実離れした額だが、凄いのはそれを毎年供出できるアメリカのビジネスとしてのプロゴルフだ。もちろん優勝賞金だけをみても別格で、メジャーと世界ゴルフ選手権を除く公式戦41試合の優勝賞金は平均すると1億1224万円。世界2強の一方と目される欧州ツアーが32試合で4870万円。3番手の日本は25試合2580万円で、日本での優勝賞金はアメリカなら5位相当の金額だ。世界各国の野心あるプレイヤーが米国ツアーを目指し、結果として最強の戦場となるのも道理ではある。
ただ、ステンソンのコメントが本心だとすれば、金銭的報酬がいかに高額でもプレイヤーたちの得る達成感は別のことに由来する、ということがはっきりしてきて興味深い。お金の問題ではないと彼らが言えば言うほど賞金は高額になるというフィードバックも起きてくる。競技そのものの魅力はいや増し、広告的価値は高まってスポンサーは莫大な宣伝費をトーナメント開催費用としてつぎ込むことになる。
Embed from Getty Images Embed from Getty Images冷戦時代に米がボイコットを呼びかけた1980年のモスクワ五輪、商業化が一気に展開した84年ロス五輪の頃に体育スポーツ科学の学徒だった私は、アマチュアリズムへの違和感を感じる一方でコマーシャリズムへの不信感も募る時期があり、組織化と管理化、メディア化の弊害が目について、スポーツが退廃へ向かうような危機感を感じたことがあった。しかし、プロスポーツが世界規模で広告媒体として巨大産業を為しているいま、スポーツ自体は「より速く、より高く、より強く」というモットーそのままに純粋さを高めてきたのではなかったかと思う。
純粋なものほど、着色され利用され易いし、すぐに汚れて誤解される。動機や目的が強調されればスポーツは何かの手段でしかないように取沙汰されてしまう。10億円は精製、洗練の代金ではないのか。人を夢中にさせる力は最初からゴルフの中にある。プロゴルフが、最後にきらめくようなやり方でそれを見せてくれる仕組みなら、一層の高額賞金も望むところだ。
(2013年10月17日付毎日新聞夕刊掲載)