ナチュラルゴルファーだったアトラスの王

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北アフリカ初のコースがタンジールにできて100年。モロッコ国内には現在35コース。熱心なゴルファーだった故ハッサン2世国王がいち早くゴルフ観光に着目し、世界の著名プロを集めて1971年に創設した試合は、いまでは欧州ツアー公式戦となっている。国内ゴルフ振興策も実り始め、去年、欧州女子ツアーで戦う初のプロが生まれたばかりだが、モロッコはすでに世界のゴルフ史に彩りを加えている。

フランスからの独立前、南部ベルベル人部族グラワの首長でマラケシュのパシャだったティアミ・エル・グラウィ(1879-1956年)はゴルファーだった。スコットランドの作家、ギャビン・マクスウェルの著した『Lords of the Atlas(アトラスの王たち、1966年)』に、ハンディーキャップはプラス4で一緒に回る欧州人を驚かせる凄腕だったと描かれている。なぜうまいのかを問われたグラウィは「自分にとってゴルフは慣れ親しんだゲーム。山に住んでいた子どもの頃にいつも遊んでいた“タクーラ(takoura)”というゲームは、ゴルフそのものだった。私たちは“ジョル(jol)”という砂礫ばかりの場所でプレイした。樫の木の枝から削り出したスティックで、木製の球を打った」と語っている。19世紀後半、険しい大アトラス山脈の北側にも原型的ゴルフがあったという事実は興味深い。

 

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グラウィは1920年代前半、マラケシュにコースを造った。最初に4ホールを自身が設計。それを全英オープン覇者のアハノー・マッスィーと弟子のグスタブ・ゴリアが完成させた。乾いた荒れ地の地下に送水管を敷設して潅水し、各ホールは糸杉やユーカリ、オリーブなど、多様な樹々に豊かに縁取られ、花壇に囲まれていた。グラウィにとって、ゴルフはマイルドな趣味ではなく情熱で、誰と会ってもゴルフの話は尽きることがなかったとマクスウェルは書いている。毎年催されたコンペと連夜の屋外晩餐会には、作家のコレット、作曲家のラヴェル、ドワイト・アイゼンハワー、チャールズ・チャップリン、ロイド・ジョージ、常連で親交の深かったウィンストン・チャーチルがいた。

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農産物と鉱物資源、そして遊郭からの富に支えられ、最後の封建領主として地下牢のある宮殿に住み、豪奢な暮らしぶりと風雅な趣味からアトラスの王と言われたグラウィの光と影はいまや渾然として、庭園のようなコースだけが残っている。

(毎日新聞2014年4月3日付夕刊)

 

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