ヒトラーのトロフィー

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去年5月末、英国チェスターでの美術品オークションで、ドイツの誇るバルト海沿岸産の明るい色の琥珀が8つはめ込まれた銀盆が、1万5千ポンド(約200万円)で落札された。アドルフ・ヒトラーが「幻の五輪ゴルフ」に寄贈した優勝トロフィーである。

1936年8月のベルリンオリンピックから2週後、五輪正式種目でなかったゴルフにも、国際ゴルフ大賞と銘打たれた国別対抗チーム戦が設定された。温泉で有名なバーデンバーデンを舞台に36か国が招待され、実際に代表を送り込んだのはチェコスロバキア、イングランド、フランス、オランダ、ハンガリー、イタリア、そしてドイツの7か国。競技は各国2名が個々にプレイするストローク戦で、1日2ラウンドの二日間。二人の合計スコアで競われた。

 

1936五輪ゴルフ.jpeg出典:Le Golf et les Jeux Olympiques. Georges Jeanneau, フランスゴルフ連盟出版、2003年

 

ヒトラーは会場に来なかったが、初日、意外にも地元ドイツが有力イングランドに5打差をつけてトップに立つ。授賞式で代役を務める予定だったリベントープ外相は総統に電話を入れた。喜んだヒトラーはみずからドイツの栄誉をたたえるべく、急遽、ベルリンを後にして500km彼方の現地へ向かう。ところが、二日目午後の最終ラウンドでイングランドが奮起し、ついには逆転優勝。ドイツは伸ばせず、フランスが2位に入った。外相は慌てて車を飛ばし、会場寸前まで来ていたヒトラーを捕まえて祖国敗退を告げるや、ヒトラーは激怒してUターン。そのままベルリンへ戻ってしまった。

当時のドイツには50か所ほどのゴルフコースはあったが、競技の伝統はなく国際大会覇者もいなかった。なぜ、ヒトラーがこの大会を開催したのかは謎に包まれている。経緯は英仏の資料から明らかになっているだけで、当のドイツではスポーツ史から消し去られて記録も残されていないという。

イングランドの勝ち取った銀盆は転居を繰り返すイングランド・ゴルフ同盟の手を離れ、一時、セントアンドルーズのゴルフ博物館に展示されていた。しかし90年代半ばに行方不明となる。2004年にマスコミが書き立てて消息が探られた結果、ある事業家のスコットランドの自宅にあることがわかった。

チェスターのオークションで落札したのは、イングランド北西部にあるヘスケスGC。当時のイングランド代表選手のひとり、アーノルド・ベントリーの所属していたクラブである。陸上4冠のアフリカ系アメリカ人、ジェシー・オーエンスと同じくらいにヒトラーを憤慨させ、国威誇示や民族の優位性を示そうという試みが、いかにナンセンスであるかを歴史に刻んだヒトラートロフィーは、少しミステリアスな運命を辿りながらも76年間の旅を終えて、いま、クラブハウスで誇らしげに展示されている。

(2013年5月30日付毎日新聞夕刊掲載)

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