人影まばらな市営コース。“打初め”は無心で、のつもりが、あれこれと考えていた。
普通より長いパターの一端を腹や胸につけて固定し、そこを支点(アンカー)にして球を打つ方法は「ゴルフではない」、ということになった。それを禁止する規則案が昨年11月に示され、2016年に正式発効する見通しだ。ゴルフはかくあるべしという議論を続けてきたR&Aと全米ゴルフ協会に敬意を表したい。重要なのは、結論が正しいかどうかということよりも、個人が、組織が、社会がどう反応し、どう対処して行くかだと感じる。
ゴルフはいま、世界的にいくつもの課題を抱えている。たとえばコース維持のための水の消費量。用具の技術革新で伸びた飛距離に応じてコースが長くなれば、水も肥料も芝刈りのコストも増える。楽しいプレイに適していて、水や薬剤、芝刈り回数の少なくてすむ芝種開発が目指されているが、環境要因でゴルフの制限される日が来るかもしれない。
コースが長くなればプレイ時間も延びる。プロたちをマネたスロープレイも週末ゴルファーに蔓延し、時間がかかりすぎるからとゴルフを敬遠する声もある。たとえば6ホール単位のプレイ法の提案や、「前のティーからプレイしよう!(Tee it forward!)」というプロモーションも進められているが、我々自身がどうプレイすれば満足できるかの問題。長いパター、長いコースでなければダメなのか。つきつめれば、自分にとってゴルフは何なのかということだ。
スコットランドのセントアンドルーズと、米ニュージャージー州ファーヒルズをそれぞれの本拠とする2つの規則統轄団体は、600年以上も連綿と続けられてきたこのゲームの伝統と慣習を守り、後世に残すために、何をなすべきかを考え、取り組んでいる守護者たちだ。しかし、いま世界に3万3千あるコースで6千万人の老若男女が楽しみ、2016年には五輪種目となるゴルフが、たとえば30年後にどうなっているか。それは彼らに任せておけばいいのか。彼らの示す方向やプロたちのスタイルに対峙して、何かにこだわりすぎていないかを見極めなければいけないのは、我々自身ではないのか。
冬ざれたコースで、一打一打一喜一憂の向こうに明日を思う。こんなに面白いゲームは子どもや孫たちにも楽しんでもらいたいと願わないわけには行かない。誰かに指図される前に、何かできることをしてみたい。
(2013年1月24日付毎日新聞夕刊掲載)
Embed from Getty Images