「アーメンコーナーの由来をご存知でしたら、教えて頂けないでしょうか?」
1981年のマスターズ。報道関係者が集うテントで、新米らしい若い記者に2度もそう訊ねられたハーバート・ウォーレン・ウィンドは、決まりが悪かった。
アーメンコーナーは、マスターズの舞台であるオーガスタナショナルの一角、11番パー4の半ばから、12番パー3、そして13番パー5の前半部分までの呼称である。クラブハウスからもっとも遠いコース南端の折り返し地点で、大きな樹々に囲まれ、白のハナミズキや黄金のレンギョウ、色とりどりのツツジやシャクナゲに彩られた3ホールは、プレイヤーにとって自分の心臓の鼓動が聞こえるほど静かだ。技量とともに運さえ試されるこの3ホールでは、世界のトップ選手が果敢な一打に挑み、神業のようなショットを繰り出し、舞う風のいたずらや痛恨のミスに泣いてきている。そこを“アーメンコーナー”とは、響きからして勝負の行方を左右する重要な場所にふさわしいと誰もが感じ、1960年代には畏怖の念と設計者への賞讃をも込めて、そう呼び習わされるようになっていた。
ウインドは、1981年当時64歳の古参記者で、自分の知識や経験が若手の役に立つことがあるならと思ってはいたが、「あまりにも有名になっていて、名付けたのは自分だとは言いにくかった」と、1984年4月号の米ゴルフダイジェスト誌に書いている。
「13番ホールを通り抜けたときには“アーメン”と十字を切るんだ」
全英オープン勝者のトニー・レマがそう言ったことも語り草だ。そこからこのニックネームがついたかのように思われがちだが、命名は1958年のマスターズ。ウインドが観戦記をスポーツイラストレイテッド誌に寄せるとき、かねてから勝負の節目となってきた3ホールでアーノルド・パーマーの演じた逆転劇が、ウインドの記憶の片隅に積み重ねられたジャズの一曲と結びついた。学生時代に聞いたスイングの女王、ミルドレッド・ベイリーの歌う“Shouting in that Amen Corner”だった。「私の学生の頃の古いサザンシャウトだから、若い人にはピンと来ないだろうと思った」ともウインドは振り返っていた。
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サラゼンやホーガン、ニクラスの評伝も含め、史実を踏まえた厳密で詳細な記事を生涯にわたって書き続け、いまではゴルフ殿堂中の偉人となっているウインドには、自分の目撃してきた物語がはたして新しい世代に共感されるだろうかという思いもあったのかもしれない。とにかく彼は、若手記者を前に手柄めいた話になるのをためらった。それは空前絶後の年間グランドスラムを達成したボビー・ジョーンズが、自ら創設した試合の名を“マスターズ(名手たち)”とするのを「不遜だ」と嫌っていたことにも似ている。いまや代え難い言葉たちの中に、毎年やってくる春のように安心できる機微がある。
(月刊ゴルフダイジェスト誌2014年7月号)
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