友の現実、いまを生きる自分

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2006年8月末、ライダーカップ出場選手を決める最終得点試合であるBMW国際オープンを前に、リー・ウエストウッドは月曜、火曜とイングランドの自宅で寝たきりだった。ライダーカップに出るにはその試合に出て好成績を挙げる必要があったが、前週の試合で体調を崩して最終日に棄権を余儀なくされたほどで、諦めていたところだった。そこへライダーカップのキャプテン、イアン・ウーズナムから電話が入った。その週の試合にぜひ出場して欲しいという要請だった。ウエストウッドは無理を押してミュンヘンへ飛んだ。妻を癌で亡くしたばかりのダレン・クラークがライダーカップ出場を切望していると聞いたからだった。

 

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プロ転向以来、同じエージェントのもとで一緒に世界を転戦し、気心も知れている二人は、ともにライダーカップにも4度の出場経験がある。ウーズナムは自ら推薦する選手候補者として二人を考えていたが、周囲を納得させる材料が欲しかった。ウエストウッドは高熱とめまいの中で5位タイの好スタートを切り、結局28位タイに終わったが、三日目にも68で回り底力を覗かせた。

欧州代表選手として申し分ないキャリアの持ち主であるウエストウッドへの期待はいつも大きい。ただ、その年は祖母の他界もあって、夏までの7試合連続カット落ちという低迷が続く。そんな中でライダーカップ出場を危ぶむメディアに詰め寄られた時、「たかが1週間のゴルフのために年間計画を変更したりしない。自分は喰うためにゴルフをしている」と言い放って周囲を驚かせたこともあった。賞金王となった直後に3年近いスランプでどん底を見た男のコメントだと思えば不思議ではないが、ゴルフのことばかりですべてを決める生活は、その夏のウエストウッドにはどこか現実離れしているように感じられたのかもしれない。しかし、ウエストウッドは踏ん張った。4年間、闘病中の妻に背を押されて試合に出続け、その妻を亡くした直後にライダーカップ出場を願う親友クラークの思いは、痛いほどわかった。キャプテン推薦の候補には実力者トーマス・ビヨーンをはじめ数人がいたが、ウーズナムは結局、クラークとウエストウッドを選んだ。二人は組んで3つのマッチに出て全勝し、ライダーカップは欧圧勝に終わった。

二日目午前のフォーボールで、ウエストウッド、クラーク組はタイガー・ウッズ、ジム・フューリック組と対戦した。1番でクラークの放ったティーショットは右の林の上空を飛び、300ヤードを超えてからフェアウエイに落ちた。それを見ていたウエストウッドの表情が、私には忘れられない。何かが解き放たれたようなクラークの一打に、ウエストウッドはハッとしたように小さく驚いていた。現実はつねにいま、目の前にある。そのマッチは高揚した明るささえ感じられる雰囲気の中で進行し、二人が3&2で勝ち取った。

(2014年3月号月刊ゴルフダイジェスト誌掲載)

 

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クラークとウエストウッドのライダーカップ(2006年)
ライダーカップは、欧米各12人のプロたちによる2年に一度の対抗戦。英米のプロたちが親睦を深める目的で1927年に始まり、欧米で交互に開催されている。
賞金はない。ということは、プロたちにとってただ勝つことだけを目指して戦うことを意味する。
個人戦たる日頃のトーナメントとは違った緊張と興奮のなかで、プロたちが自分のサイドを代表するプライドをむき出しに戦う姿は、多くの観客を惹き付ける。
神業としか思えないショットが飛び出し、信じ難い失敗がカップ争奪を左右するというドラマが繰り広げられてきた。
伝統はそうやって築かれ、ライダーカップに出ることはプレイヤーにとって幼い頃からの夢の一つとなっている。
出場選手は欧米両ツアーそれぞれに、戦績をもとに設定されるランキングによって決まる。加えて、キャプテンが若干名を選ぶ。

 

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