ゴルファーは誰と戦うのか、と考えていて思い出しました。1913年、11歳のあなたがイーストレイクのオールドコースで自己ベストの80を出した時に「発見した」仮想の競技相手、パーじいさんのことです。
お友だちのペリー・アデアと対戦していながら勝ち負けよりもスコアに気を取られたゴルフになって、「鉛筆とカードという姿をした、いかなる敵よりも手強い相手」を見出した。空前絶後の年間グランドスラムを達成し、ゴルフ史に球聖(この呼ばれ方をあなたは嫌うでしょうけど)として名を刻むことになるのも、パーじいさんのおかげだったのですね。
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興味深いのは、「発見」に先立ってあなたがハリー・バードンのゴルフを目の当たりにし、まるで相手との勝負から超然としてパーを重ねていくプレイぶりに強い印象を受けたこと。
バードンを生んだ英国にはボギー大佐がいました。二人は同一人物なのでしょう?
対戦相手と各ホールの勝ち負けを重ねていくマッチプレイだけだったゴルフに「各ホールの基準打数」という考え方と、その数字との勝ち負けを競う競技方法が加わったのは1890年、イングランド中部のコベントリークラブ。それが伝えられて好評を博していた東部グレートヤーマスのクラブで、ある日、ゲストが感慨深げにこう言ったという話。
「まいったよ。君のところのこのプレイヤーは、たいしたボギーマンだな」
当時、ロンドンの人気芝居の劇中歌「ボギーマン(お化け)が来るぞ」が流行っていたので面白がってそんな言い方をしたのでしょうが、すぐに基準打数は「ボギー」と呼ばれることに。当初から擬人化されて親しまれたのがミソですね。ほどなくそこのメンバーが、軍人ばかりのクラブに招かれてボギーマンゲームを紹介。いざプレイしようという段で、海軍出身の名誉セクレタリーが言いました。
「ここでは全員にしかるべき軍の職位階級がある。どうやら彼は決して過ちを犯さない、まったくもって司令官たるべき人物だから、大佐に違いないな」
ボビー様。その後のアメリカで、パーとボギーは同じものではなくなりましたが、大佐があなたに「再発見」されたことを私のような万年ダファーは救いとして受けとめ直さなければいけない。
私は自分の不器用に辟易しながらも、諦めずにまたコースへ出て行きます。重要なのはスコアではないという思いがあり、一方で、それにすがり、そこへ逃げ込んだらおしまいだと感じてもいます。
「耳と耳の間で行うスポーツ」だとあなたは言いました。シリアスな競技に縁遠い私でも、球を打つときには動機や下心や結果や勝敗や不安や恐怖を頭の中から追い出して、自分にできる最良の一打を放つことに専念しなくてはならない。あなたが伝えたかったのは、そんな無心さ、一途さがなければ時間を捨てるようなものだ、ということだった。
戦う相手というのは、パーじいさん、ボギー大佐とは、私のなかにいる私自身のことですね?
(月刊ゴルフダイジェスト誌2014年11月号掲載)
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*ままならないこのゲームに哀しくなることは多いが、明日はきっとうまく行くと思う。万年ダファーに欠かせないものは明るさと希望だ。