圧力鍋の中にいるような酷暑だった1964年の全米オープン、コングレッショナルCC。この年まで最終日は2ラウンドで、ケン・ベンチュリは午前中に熱中症にやられ、首位のトミー・ジェイコブズを2打差で追うファイナルラウンドを前に、棄権しろと医師に忠告された。しかし、ベンチュリは出て行き、脱水でフラフラになりながらも逆転して勝った。彼のへこたれなさを人々は讃えた。しかし、この話は無謀なことに挑んだという武勇伝ではない。そこまでの4年間、スイングを壊し、ケガや交通事故、家庭問題もあって惨憺たる状況にあったベンチュリにとって、答えは単純だったのだ。
「先生、ここまでのていたらくより、いまの私はましですよ。他に行くところも無いんです。」
彼も出演した映画『ティンカップ(1996)』の、パー5の二打目で池越えのグリーンを狙う場面。ケビン・コスナー演じるロイ・マカボイは「こいつをベンチュリに見せてやるぜ」と言ったが、現実のベンチュリのセリフの方がはるかに映画的で、説得力にあふれている。
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5月17日、ベンチュリは82歳で亡くなった。生涯にわたるゴルフへの貢献が讃えられて世界ゴルフ殿堂入りを果たした翌週だった。記録と文献を見直してみると、際立つ業績にあらためて驚く。1956年のマスターズで54ホールをリードしていた時はまだアマチュアだった。プロ転向は野球であったかもしれなかった。ジョー・ディマジオ引退後のNYヤンキースのセンターにどうかと、フランク・オドゥールが考えていたほどの力量だったらしい。ゴルフに情熱を見出したベンチュリは12年の短いキャリアの間に14勝。その後、トーナメント中継の解説者として2002年のケンパーオープンまで35年間。まさにボイス・オブ・ゴルフというべき存在となった。手首のケガで競技生活を断念した口惜しさは幼児期からの吃音を克服させ、同じ悩みを持つ人々の励みにもなっている。
ベンチュリは基本的に、画面で見えていることを描写する必要はないと考えているようだった。何を言わないかを重視し、「なぜ」を説明しようとするベンチュリのコメンタリーは、私にとっての範型だ。誰彼なくほめるだけだという批判を受けることもあったが、1931年生まれで、紳士でなければ男ではないという時代に育ったこともあるだろうし、ベンチュリの気持ちはつねにプレイヤーサイドにあって、言われる者の痛みをはかっていたのだと思う。画面に映る彼らを対象化していながらも自己顕示を慎み、つねにプレイヤーの立場を考えて言葉を選ぶような奥ゆかしさがあった。
日曜日の午後もベンチュリの口数は少なかった。しかし、ショットの合間にひらめき、こぼれ落ちる彼のコメントには、勝つためにエンジン全開になったリーダーの威勢と、それを見守る父の喜びが同居しているようだったのを思い出す。
(2013年8月号月刊ゴルフダイジェスト誌掲載)
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