世界のゴルフ関連美術作品展で、日本人画家による昭和2年の作品*に改めて感じ入った。
30歳代半ばだろうか、チョビ髭をはやし、プラスフォーと呼ばれた優雅なニッカボッカーズに黒いソックス、黒いシューズ。白い長袖シャツの上には渋い赤のベストを着て、左手にウッドクラブを握っている。足元にはボール、そこから背景に少しうねるような起伏が続き、鈍い茜色の空。『ゴルフ・プレイヤーとしての自画像(1927年)』のなかの国吉康雄は、「これが私で、ゴルファーなんだぞ」と歌舞伎の見得を切っているような風情だ。
明治22年に岡山で生まれ、17歳で単身渡米した国吉は、西海岸で働きながら学校へ通ううちに絵を描くことに目覚めた。1910年からニューヨークで本格的に取り組み、アメリカを代表する作家となった。個人の夢や生き方の選択は国を超える。自らを描いた作品はいくつかある国吉だが、この絵が一番、国吉の生き方を映しているような気がする、などと言ったら、ゴルファーの身内びいき的自慢話になってしまうだろうか。日本でのゴルフが、駐留外国人のレクリエーションでなく日本人のためのスポーツとして独り立ちをしたばかりという時代に、モダニズムの作家として世界的な評価を受け始めた国吉がゴルフにもアイデンティティーを見いだしていたのかと、うれしく想像した。
その頃の国吉は篤志家ハミルトン・イースター・フィールドの援助を受け、夏にはメイン州南端のオーガンクウィットという小さな町で過ごしていた。「メインではかなり頻繁にゴルフをしていたと思う」と、2番目の妻セイラ・マゾが、自身、長く勤めたニューヨーク近代美術館のオーラルヒストリー聞き取り調査(1993年)で語っている。
ニューヨーク近代美術館の初代館長で、国吉を「アメリカ人、日本生まれ」と紹介したアルフレッド・バーは、この絵を1938年に所蔵しておきながら、国吉はゴルフをしないと思っていたらしい。セイラ夫人は笑い飛ばし、国吉のクラブは没後、画家仲間のロバート・プレートにあげてしまったとも言った。再婚は1935年だから、国吉はアメリカのゴルフが大衆化の黄金時代を迎えた頃に始めて、時には入れ込んで続けていたことになる。
「芸術はユニバーサルだ。なぜなら人間がユニバーサルだから」
大戦時には在米日本人として苦い思いをした国吉の言葉に、俄然、迫るものを感じる。
(2013年2月14日付毎日新聞夕刊掲載)