傲慢なほどの高潔

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“Ludus Palma Potior(ルードゥス・パルマー・ポティオル)”—南アフリカのロイヤルダーバンGC(1892年創立)が紋章に縫いこんでいる言葉だ。意味を知りたくて、ラテン語独習支援活動もしている京都の北白川幼稚園園長、山下太郎氏にたずねると、「ゲームは勝者より大切だ」が直訳。「大事なのは勝敗よりもゲームの中身」と捉えてもよいのでは、と教えてくださった。

思えば今年は考えさせられた。パターを身体につけて支点を作るアンカリング打法の禁止が打ち出された。しかし、その打法で腰痛やイップスと呼ばれる運動障害から救われた人はどうなるのか…。止まっていた球が動いたという罰則判定は肉眼で確認された場合に限ると決まった。ただ、テレビ映像から球の動いたことが明らかでも“事実”でないとする事例があり得るとなると違和感も残る…。道具の進化による飛距離の伸びに歯止めは必要か。男性限定クラブはあってはならないのか。下手ゆえに時間のかかるプレイは取り締まられるべきか…。こうした難題に取り組む時、私たちは答えそのものよりも、答えを出すための議論と手続きが大事だと信じるべきなのだろう。

ゴルフが自らを再定義してきた一方で、ゴルファーは無為でいいのか。4月のマスターズではタイガー・ウッズが、池に入れた後の処置を誤りながら自覚のないままスコアカードを提出。競技失格となる重大なミスなのに、裁量権のある競技委員会の手落ちもあって失格は免れた。ウッズは自分で失格を申し出るべきだったという声が根強く聞かれる中、ジャック・ニクラスの示した見解は興味深いものだった。

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「それは傲慢というものだ。俺を裁くのは俺、自分はゴルフ規則よりも優位、と言っているようなもの。ルール裁定は、善し悪しは別として受け入れなければならないものなのだ」

前人未到のメジャー18勝を成し遂げた73歳のニクラスの考え方は納得できた。ただ、私にはかすかな失望感もある。世界のゴルフに君臨して17年にもなるウッズには、ある種のハードボイルドでいて欲しいという願いがあったからだろう。

あるがままにプレイし、自分に有利に振る舞わないというゴルフの理念は、規則や委員会に拠らなくともプレイヤー本人が主体的に体現すべき流儀といっていいものだ。そもそも便宜的設定の中で遊んでいるだけなのだから、ばかばかしいくらいに高潔でもいいのにと感じる。

(2013年12月26日付毎日新聞夕刊掲載)

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