11月も晦日、午後8時45分。家を出ると、東の空に右上のぼんやりと欠けた月が見える。満月は多分、二日後だろう。でも、もう十分にスピリチュアルな夜だ。
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夜中の放送に備えて、少し昼寝をしようとベッドに横になっていた。まどろみ始めた頃、子どもたちが寝室に入ってきて遊び始めた。
(あ〜あ、これだよ。うるさいなぁ。)
もうすぐ2歳になる双子の息子と3歳の娘は、何が楽しいのか、紙おむつの空き箱に入っては、キャッ、キャッと叫びながら遊んでいる。
(コーヒーでも飲んでシャキッとするか・・・)
横になったまま、あきらめ気分でしばらくぼんやりと眺めていると娘がベッドに上がってきた。微笑みながら私に近づいてくるサラを見ると、私はいつでも何でも許してしまう。サラはそのまま私の耳元に顔を寄せて、内緒話をするように密やかな声で言った。
「あにか・・・」
「えっ?」
「あにか。」
「・・・?・・・!」
娘はニコニコしながら後ずさるようにベッドを降りて、また2人の息子とともに走り回っている。私はあっけにとられながらも、サラは確かに彼女の名前を口にしたぞと頭の中で確認しつつ、しかし信じられない思いでノロノロと起きあがった。
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「デターミネイション!(Determination)」
「何故そんなに強いの?」と、半分あきれ顔のケイ・コックリルが直裁に質すと、18番をホールアウトしてきたばかりの彼女は即座にそう答えた。
最終戦での彼女の逆転優勝は凄かった。コックリルは立場上すぐにいくつか別の質問をしていた。しかし、最初のその言葉でもう十分に圧倒的だった。
どう和訳したらいいだろうか。「勝ちたいなら最後まで諦めない、という決意。」とでも取っていいのだろうか。謙遜も恥じらいも、あるいは傲慢さもない。ただ率直な物言いには誰もが納得する迫力がある。
2004年は勝率5割、20戦10勝。LPGAでは18戦8勝。通算56勝目。2000年シーズンから数えると106試合出場で38勝。この数字だけで、J・インクスターやB・ダニエルの勝利数を超えている。35.9%は驚愕の勝率だ。33歳にして世界ゴルフ殿堂入りを果たした2003年にも増して素晴らしい年になった。
いったいひとりのプレイヤーがこれほどまでに圧倒的なやり方でゴルフ界を席巻できるものなのかどうか。タイガー・ウッズの2000年に我々は歴史を目の当たりにした充実感を感じたはずだが、その翌年から2004年までの4年間はソレンスタムに驚かされっぱなしで、彼女が歴史的にどんな位置に納まるのか、すぐにイメージできずに戸惑ってしまうほどだ。
先立つ1999年、2000年の賞金ランクは4位、2位。ソレンスタムはこの間に7勝しているが、1999年には朴セリが一身に注目をあつめ、2000年はカリー・ウエッブが優位だったので、LPGAのトップ選手のうちの一人に過ぎなかった。しかし、翌年からはまさに君臨することになる。
2001年には女子で初めて59というスコアを出し、26試合に出場してまったく予選落ちをせずに20試合でトップ10入り、4試合連続優勝も含む年間8勝。ロサンゼルスではLPGA記録に並ぶ最終日の10打差逆転優勝を遂げている。18ホール、36ホール、72ホールの最少スコア記録も塗り替え、年間平均スコア69.42はLPGAの最少記録となった。
2002年は年間11勝をあげていた。
「ゴルフ史で最も傑出した女性ゴルファー」と呼ぶのは簡単すぎる。2003年はPGAツアーのコロニアルに出場した。男子の試合に女子が特別招待で出場することには批判もあった。しかし、彼女がそのことで何を得たかを思うとき、そしてその後の彼女がどんな結果を出しているのかを目の当たりにすれば、批判がどんな根拠に基づいていようと虚しく聞こえる。
どんな記録も誰かがいつか更新するだろう。どんな目標をもって新たなシーズンを迎えようとしているのかは興味があるが、彼女にとってナンバーワン以外は満足できる場所ではないだろうから、勝ち続けることしかない。だからソレンスタムのすごさを結果だけで語ってはいけないような気がする。
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勝ち続けている時、彼女が何度か語った話がある。まだスウェーデンにいた頃、練習ラウンドの途中で少しでも雨が降り始めると、15歳の彼女はあわててプレイを中断し、父親に電話をして迎えに来てくれと頼んだ。父親トム・ソレンスタムはそれに応じたが、ある時、家へ向かう途中で娘に向きなおって、「いいかい。うまくなることに近道はないんだよ」と優しく言った。
「父の言いたいことがわかりました。それを私は思いだしていたんです」
彼女は雨の中でもボールを打っているプレイヤーのことを考え始めるようになったという。この話の意味は、何かすごいことを成し遂げるためにはそれなりの準備が必要だということを彼女は感じていて、自分の人生においてその時期が来たと思った時、彼女は苦労することをいとわなかったということだ。そのキーワードが「デターミネイション;決意」なのだろう。
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うなされたり寝言を言ったかどうかを妻に聞いたがそれもなかった。いずれにしても、不思議だが事実だ。サラは確かに「アニカ」と言った。ゴルフの伝え手として生きていこうと考えてアメリカに来て、目の前の仕事に追われるように日々を過ごしながら、何か漠然とした不安も感じていた私の気持ちを、娘は言い当てた。「崇拝しなさい」と娘は言ったのだ。大げさになるが、私はこのことを一つの啓示として受け止めてこれから生きていくことになるだろう。アニカはそれほど偉大で、示唆的で、魅力に満ちている。