睫毛からしずくが滴り落ちるのではないかと思うくらい湿度の高いフロリダでも、早朝のゴルフ場は清々しい。家から30分程度で行ける場所にコースがあることは、すごく大事なことのように思える。ここオーランドは観光地でもあり、箱庭のように手入れされたコースが近隣にたくさんある中で、私が30ドルを支払って期待感に心躍らせているこの市営ダブスドレッドは、ダウンタウンに寄り添うような場所で1923年に開場して以来、地域住民の慰安と喜びの場となっているのだ。1番ティーの脇で、きょう一緒に回ることになる人たちと挨拶を交わして待ちながら、設計者トーマス・ベンデロウ(1868-1936)こそゴルフ版ジョニー・‘アップルシード’・チャップマンだなと考えていた。
つねに西部開拓の最前線にいてリンゴの苗木を植えた男が偉人なら、スコットランド、アバディーンから米国に移住し、1894年からの20年間で600コース、1936年に亡くなるまでに700以上をつくった彼もアメリカン・ヒーローに違いない。いまや1万6千コースを越えるアメリカも1923年には約2千コースだったのだから、当時、彼はひとりでほぼ3分の1をデザインしていたことになる。米国は1920年代にゴルフの黄金期を迎え、ゴルファーもコースも急増していく。その前の黎明的時期に、コース設計と運営からゴルフの技術、規則、マナーまでを指導して北米各地を回っていたのがベンデロウだった。
球聖ボビー・ジョーンズを生んだアトランタのイーストレイクや、全米プロやライダーカップ開催のメダイナCCこそいまや名門として有名だが、ベンデロウ作の半数以上はこのダブスのように誰もがプレイできる公営を含めたパブリックだ。彼は、一部の富裕層の楽しみのための塀で囲われたコースだけでなく、市町村自治体の依頼を受けて一般市民の老若男女がゴルフをする場を造りまくった。そのことが、世界一のゴルフ大国アメリカの基盤になったことは間違いない。
しかし、同時代のドナルド・ロスがいまでは巨匠と祭り上げられ、その作品が名コースと讃えられている一方で、ベンデロウは忘れられた存在だ。理由はいくつか考えられる。彼のコースは宅地に変えられていまは消滅しているものが多いこともそのひとつだろう。その後、違う設計家が改造した後に評価されるようになったコースも多いことで、それならもともとの出来はあまり良くなかったのだろうという漠然とした印象が生まれることも想像に難くない。そのために、粗製濫造という批判を受けたばかりか、まるでペテン師のように言われたこともあった。
しかし、ベンデロウが仕事をしたのはゴルフの本格的な大衆化を前にした時代だ。多くの人にゴルフを、という目的が第一だったのだから、チャンピオンシップ・コースを量産する必要はない。孫のスチュアートが各地を回って史実を掘り起こし、 2006年に伝記をまとめている。亡くなるまでは、彼がゴルフの伝道者として讃えられていた様子が、 丹念に調べあげられた当時の新聞や業界機関誌の記述からよくわかる。ベンデロウは雑誌や新聞に優れた啓発記事を書き、のちに、イリノイ大学でコース設計の講義も行っている。彼の目的はゴルフの普及で、名声ではなかった。
ロスやベンデロウの時代には、球はいまほど飛ばないし、ゴルフはいまとは違ったものだった。コースの造成、整備についても技術と機材が決定的に違う。芝の改良は著しく進んだ。ロス設計で、いまやツアー競技やナショナル・チャンピオンヒップの開催されているコースはたくさんあるが、たとえば、いまやグリーンの早さはスティンプメーターで12フィート以上になるよう設定されている。ロスが設計当時にその早さでプレイすることを想像していたとは思えないし、実際にはそうしたコースはほとんどが改造、改修されているのであって、事実上、ロス設計ではないわけだ。それでも、彼のレイアウトはそのままに活かされている、とコース関係者や興行主はいうだろう。穿った見方をすれば、それは、すでに広く認められ讃えられてきたドナルド・ロスというブランドを誇示したいため、だけなのではないか。すでに故人となった名匠の手によるコースはもはや作り出されることのない点で代えがたく貴重な価値だからだ。
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1898年、ニューヨークのメトロポリタン・マガジン誌(政治、文学、芸術中心の高級月刊誌、1895年創刊、1925年休刊)に寄せた「ボールをティーアップしましょう;由緒ある、すてきなゲーム、ゴルフ(Teeing the ball. The Ancient and Royal Game of Golf)」と題する小論の冒頭を、ベンデロウは次のように書き始めている。
「年齢、性別、そして体格という視点をすべて考慮すれば、ゴルフは今日の合衆国において最も人気のあるゲームです。もちろん、違いがあることは確かで、野球のように国民的ゲームではないし、フットボールのように華々しくはようにない。クロッケーのようにどこででもプレイできるわけではないし、テニスのように減量にもってこいとは言えない。ポロのように貴族的な趣があるわけはないし、クリケットのようにデモクラティック(平等主義)でもない。でも、ゴルフはほとんどあらゆる職業の、あらゆる体力レベルの男女に、安全で健康的に楽しめるひとときを与えてくれます。さらに言えるのは、比較的お金のかからないゲームであることで、この点はきわめて重要な検討事項ではないでしょうか。
オハイオのサンダスキー・スター(Sandusky Star)紙, 1899年1月18日付け記事には、アメリカでゴルフがたいへん急速なペースで人口に膾炙し始めていることを次のように書いている。
ゴルフの普及
著名なプロ・ゴルファーである、トム・ベンデロウはこの1年半の間に、およそ150ものゴルフ・コースをレイアウトしてきた。これは世界記録である。「周知のように、」と彼は言う。「ゴルフはめざましく普及してきており、ニューヨーク周辺のリンクス(ゴルフコース)は、プレイしたいと願うすべての人を、来年にはまかない切れなくなるところまで来ていると私は思う」
孫のスチュアートは、ベンデロウがレイアウトしていったコースはそれまでゴルフのなかったところに造られたわけだから、かなり素朴なものであったろうと推測している。念入りに整備された現代のコースのイメージとはかけ離れ、ティーとホールを定め、およそのルートを示しただけのホールもあったかもしれない。
「当初、トムの役割はコース・デザイナーというより、まずゴルフの指導者だった。彼のレイアウトは新たにゴルフを始める者にとっての学びの場であったのだ。
「様々な理由から、トムはそうした初期の数年には、まずアメリカのもっとも広い層の人々にこのゲームを紹介することに専念していただろうと考えられる。彼が重視したのは新しいプレイヤーを教えること、円滑なコース運営を可能にすること、そして,人々がプレイできる機会を増やすことだったのだ。

スポーツ、冒険、旅行、フィクションを副題に掲げた月刊誌“The OUTING”の第24巻、1899年8月号でニューヨークでのゴルフ事情が特集されている。南部にあるシーダーハースト(Cedarhurst)にある9ホールのコースを18ホールに拡張しようということで造成が行われているところだが、そのレイアウトを依頼されたのは、「コース設計のナポレオン(Napoleon of link designer)”たるトーマス・ベンデロウ」と紹介されている。
「(ベンデロウ設計)となれば、土地の特性を最大限に生かしたコースが出来上がると考えていいだろう。奇を衒ったものでもなければ、びっくりさせるようなスコアの出るものでもない、よいゴルフのできること、これがベンデロウの仕事上の方針である。このニューヨーク都市圏でのゴルフは、彼の技量に負うところが大きいのだから、ここでその恩義に感謝しておくのも場違いではないだろう。いま18コースあるわけだが、彼はそのうちの9ホールを設計しただけでなく、他のいくつかにも影響を与えているのである。(p.452)」

ヴァン・コートランド・パーク
同誌の記事はCharles Turnerという著者が“GOLF IN GOTHAM(Gothamとはニューヨークの別名)”と題して、 ニューヨークのコースがいかに造られて行ったかについて概説しているのだが、最後にヴァン・コートランド・パークについては別格だと記されているのも興味深い。マンハッタンに近い東隣ブロンクスにあるというロケーションを「パブリック・リンクスはかくあるべき」とし、次のように記されている。
「ここでは1896年から1899年まで苦悩の年が続いた。プレイヤーは増える一方、節度と秩序が失われて行った。それを救ったのは、市のAugust Moebus長官の尽力と、新たに導入された運営方針によるところが大きい。そして豊かな経験と比類なき確固不動の信念の持ち主であるグリーンキーパー、トーマス・ベンデロウのおかげだ。彼が運営を一手に任されたことで、混沌に創成期の新秩序をもたらしえたのである。(p.457)」
*)http://books.google.com/books?id=B0NhAAAAIAAJ&pg=PA443&lpg=PA443&dq=charles+turner+Golf+in+Gotham&source=bl&ots=WWrBD0B9GD&sig=JbS9QDfxzC15Ae2IB1SGcZ7Zpzg&hl=en&ei=KdtdTLr-H4G78gbV3vC1DQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=7&ved=0CCYQ6AEwBg#v=onepage&q=charles%20turner%20Golf%20in%20Gotham&f=false
<トム・ベンデロウの発明> ① 米国初のパブリック・コース ② ティータイム(8分間隔) ③ プレイの進行と安全確保、エチケット向上のための規則 ④ マーシャル(コース巡回監視員) ⑤ キャディー養成制度
トム・ベンデロウは1900年まで、ヴァン・コートランド・パークの運営責任者として、もともとの9ホールを18ホールに設計し直して米国初のパブリック・コースに仕立てた。プレイする時間の予約制度、つまりティータイムをつくってその8分間隔のインターバルを編み出した。また、スムースなプレイの進行と安全確保、そしてエチケット向上のための規則を掲げ、マーシャル(コース巡回監視員)を初めて導入した。加えて、キャディー養成を組織立てて行ったのも彼が初めてだった。これらは、パブリックコースを通じて、ゴルフが大衆化していくために不可欠な制度であり、ゴルフ史を変える発明であるといえる。ゴルフ振興の範型たるヴァン・コートランド・パークを造ったことは、いわば今日のアメリカン・ゴルフライフの重要なキーだった。彼は、単に設計のパイオニアだったというだけではなく、ゴルフそのもののイノベーターでありプロモーターであり、指導者だったのだ。
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多くの移民とともに24歳のトム・ベンデロウを乗せたファーネッサ号が、グラスゴウから6日間をかけてマンハッタンに着いたのは1892年9月19日の朝。コロンバス通りのアパートに落ち着いたベンデロウは、すぐに125番街の教会に行った。彼は敬虔な長老派クリスチャンだった。
アバディーンにいたときに既に技術を身につけていたこともあって、すぐにニューヨーク・ヘラルド新聞社の写植の仕事にすんなり採用された。妻と乳飲み子を呼び寄せた彼は、毎日10時間、週に6日働いていた。
日曜日は休みだったが安息日であり、アバディーン時代には日常的に親しんでいたゴルフをする余裕はなかったし、ゴルフをしようにもコースは数えるほどしかなかった。やがて1893年頃、休暇中に出会った富裕な事業主に、強いスコットランドなまりからゴルフへの造詣を見込まれて海沿いのリゾート地バネガットベイ(Barnegat Bay)に数ホールを造った。報酬があったかどうかは定かではないが、これが後に全米で手がける700コースものレイアウトの最初だった。
ほどなく、写植の仕事中に目についた求人広告に、ゴルフの指導者の募集をみつけて応募する。ジョン・D・ロックフェラーとともにスタンダード・オイル社を創設したプラット(Pratt)家のチャールズ・プラットが依頼主で、グレンコーブにあった800エイカーの所有地にある邸宅で彼と6人の息子、二人の娘にゴルフを教え、やがて彼らの要望で敷地内に6ホールを造った。それらはやがてクイーンズ・カウンティーGCの一部となり、やがてはナッソー・カウンティーGCと改称されることになる。
プラット家でゴルフを指導していたこの時期に、アルバート・グッドウィル・スポルディング(Albert Goddwill Spalding)と出会ったのではないか、シーブライト(Seabright)にあったスポルディングの邸宅には9ホールのコースがあったことが知られているが、これもベンデロウ作ではなかろうかと、孫のスチュワートは推測している。ゴルフ用品販売を目論むスポルディングに見込まれてベンデロウが全米行脚をすることになるわけだから、その可能性はうなづける。
ベンデロウは新聞社の仕事をやめて、新世界アメリカでのゴルフの普及に生計のよすがを求める決意をする。その際にも、同じようにスコットランドからニューヨークへ来て教会に集う信徒たちの意見を聞いて勇気づけられたらしいが、やはり、かつて故郷で慣れ親しんでいたゴルフへの確たる思いのなければできない冒険であったろう。

正当に評価されていない祖父の足跡をたどり、アメリカン・ゴルフ創成期の忘れられた側面を見つめてみようとした孫のスチュワートがまとめた一冊には、赤いタータンチェックのカバーのなかでクラブを一本持って草地に立ち、次打をはかるかのように前方を眺めているベンデロウの写真が表紙にしつらえられ、“Thomas ‘Tom’ Bendelow—The Johnny Appleseed of American Golf.”というタイトルが掲げられている。
リンゴはアメリカで最も愛され、最もアメリカらしい食べ物のひとつだ。この国の開拓時代にはリンゴの苗木を育て、種を配って歩いた男がいた。大衆にゴルフを普及させることに尽くしたベンデロウを、アメリカ人の愛国的英雄となっているそのジョニー・‘アップルシード’・チャップマンになぞらえたところには、孫としての気持ちを割り引いても納得できるものがある。
*)Stuart W. Bendelow, Thomas ‘Tom’ Bendelow—The Johnny Appleseed of American Golf. Williams & Company, Publishers. Savannah, Georgia. 2006.
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アメリカのゴルフは2種類、カントリークラブ的ゴルフと市営コース的(デイリーフィー)ゴルフ。カントリークラブがロスやマッケンジーに象徴されるなら、どこにでもあるような市営コースはベンデロウだ。ベンデロウが評価されない理由は、カントリークラブこそ本当のゴルフで、コース整備もおぼつかないような安い市営コースでのゴルフは格下であるという差別意識がどこかに潜んでいるからかもしれない。まあ、それは穿った見方だろう。誰かがゴルフのホンモノとニセモノを区別したところで、私のようなダファーには何の影響もないのだが。
有閑の愛好家を唸らせることよりも、まだゴルフを知ったばかり、あるいはその楽しみを知らない一般大衆にベンデロウは寄り添った。後世の幸せの種まきをし続けて生涯を終えたベンデロウへの評価の低さを思うと、さらにジャン・ジオノの『木を植えた人』を引き合いに出したくもなる。毎日、荒れ地を歩き、 地面に穴をあけてドングリを一つ一つ埋めていった、あの羊飼いエルゼアール・ブフィエだ。数十年後に、育った樫の木の個々の樹形をあれこれ言う必要はあるまい。荒野が森になり、人々が安らかな暮らしを取り戻したことこそ、ブフィエの思いだった。ある時代に生きて自分にできる仕事をした人を讃えたい。ゴルフを分かちあうことに、持てる力を注いだ人とその思いを、忘れずにいたい。