セベ・バレステロスは、17歳でプロ入り。初めて出た試合が、月曜予選を勝ち抜いて出たスペインオープンだった。以降、1979年にロイヤルリザムでの全英オープン初勝利から、マスターズ2勝、全英3勝。欧ツアーで50勝をあげ、欧賞金王6度。1976年に最初のオーダー・オブ・メリットのタイトルをとってからの20年間は、世界のゴルフに独特の存在感で君臨していた。
ゴルフというゲームでは、思惑通りに行かなくても、そこから何が出来るのかが勝負を決するものだということを、あらためて印象づけたのはバレステロスだった。時として神がかりとも思えるようなリカバリー・ショットを成功させてみせるセベのプレイぶりを、人々は讃えた。可能性を信じて挑戦すること、華麗な技と集中力、そしてそのもとにあるパッションの意味を見いだしたのだった。
1986年には欧ツアー初の年間6勝を、出場14戦のうちにあげている。6月第1週のブリティッシュマスターズで勝った後、次の週は休んで第3週のアイリッシュオープンで再び勝つや、翌週のモンテカルロオープンにも勝ち、そこからパリへ行ってフランスオープンにも勝って3週連続優勝。
その翌週を休み、明けて臨んだターンベリーでの全英オープンでは、レベルパーで勝ったグレッグ・ノーマンに8打差の6位タイ。しかし、週末の2ラウンドで60台のスコア。ほかに69が6人、68が1人しかいなかったなかで、最終日に64で上がったバレステロスは強烈な印象を残した。勢いを駆るようにして、翌週のオランダオープンで8打差の圧倒的優勝。ここまでの8週間で5勝。3週連続を含め出場4試合連続優勝、53日間で5回の優勝をものにした。
その後、バレステロスは10月に再びパリへ戻って、ランコムトロフィーの優勝をランガーと分け合い、年間6勝を遂げた。その年のツアーの試合数は全28試合でしかなかった。バレステロスはこの年、ほかに2位が2回、3位が1回、4位3回、全英6位タイ、ジャーマンオープンで10位タイ。つまり出た試合はすべてトップテンに入って4度目の賞金王になった。ちなみに、その前年には11戦4勝、1988年には14戦5勝しており、戦績的にはその数年間が絶頂期だったといえるだろう。
英米対抗戦だったライダーカップが、「欧米」対抗に変わる背景にも、旋風のごときセベの活躍があった。ライダーカップではオラサバルと組んで15戦11勝2敗2分けという歴代最高の勝率を残し、不撓不屈の精神を体現したようなプレイぶりをファンの記憶に刻んでいる。
日本では、1977、78年の日本オープン連覇を含む6勝が衝撃的な印象を与え続けた。ピークにあった頃の圧倒的強さや、逆境で見せる集中力と闘志、神業のようなリカバリーショットは、そのままバレステロスのカリスマとなり、記憶はゴルファーのみならず世界のアスリートのインスピレーションの源泉となっている。
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