心は草の上

 

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ゴルフが草球とされたのは、戦前のゴルフ界最初の邦語化試案。キャディーに侍童、ダフに鍬打など苦心作が多いなか、ヘッドアップに放心と当てられているのには膝を叩いた。

時代に押し付けられた作業だったはずだが、日頃の経験も動員して適訳をひねり出そうとしているゴルファーたちのイマジネーションを思うと、 苦笑いを禁じ得ない。

その後一般化していて良さそうな名訳もあるのに、戦争という悲劇の反作用で封印されたような事情だろうか。

放心とはゴルフそのものだ、などと考えているうちに「残心」を思い出した。中学の剣道部と大学の実技科目でとった和弓の経験から、印象に残っている言葉だ。

剣では打突の、弓では放った直後の身構え(残身)、心構え(残心)こそ、技の冴えと力量を表すと教えられた。

いかにもゴルフに当てはまる考え方である。武術訓練がおろそかになるからと、ゴルフがスコットランドで何度も禁止された歴史は多少の皮肉だが、 共有できる価値観があるなら、用語も増えて楽しめそうだ。

 

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それにしても、宮本武蔵や那須与一を生んだ日本である。いま、彼らに匹敵する名手達人たるゴルファーが出てきて、タイガー・ウッズを打ち負かす、ということにならないのはなぜなのか。

いっそのこと、日本の誇る伝統文化としての武道からいろいろと取り込んで新たな日本流ゴルフイズムを作り上げ、ゴルフコースは道場のような鍛錬の場と位置づけてはどうだろう。

 

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健康に役立ち、社会で求められる価値をエッセンスにして学べるのがゴルフだ。年齢性別を問わず参加できるスポーツだからこそ、生涯にわたって生活に筋金を入れる道でありうる。

すでに深入りしているわれわれにとっては、はなから特別な理由や見返りを必要とせずに打ち込めるもので、だからこそ代え難い価値があるわけだが、面白すぎて我を忘れるおそれもなくはない。ゴルフとは自己修練の道だと大義名分を掲げた方が何かと都合がいいかもしれない。

自律に乏しい若手にむかって「ゴルフでもやって、鍛え直してこい」なんて叱咤する先輩がいるような日本になればいいなと、半ば本気で願いつつ、以上、年の瀬の夢想でした。

 

ゆく年の、ゆかぬゴルフに忘我放心

 

(2007年12月27日付毎日新聞夕刊掲載)

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