強すぎてアメリカを追放されたB・ロック

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アメリカで、アメリカ人プロたちの独占的優位体制を崩したのは南アフリカのボビー・ロックとゲイリー・プレイヤーでした。はじめに、それをやったボビー・ロックは、なんと、強すぎてアメリカを追放されたのです。

ボビー・ロック(アーサー・ダーシー・ロック;1917-1987)は南ア・アマチュア2勝、南ア・オープン4連勝を含む9勝。若い時期には大きなフックだけを打ち、ピンがどこにあろうとグリーンの中央に乗せ、パッティングさえもフックさせて長いバーディーをものにしました。ショートゲームにも秀でて全英オープン4勝、世界中で64勝をあげています。

コースではつねにプラスフォーに白く丸い正統的鳥打ち帽。決して急がず、どんなときにも悠然たる態度でプレイする姿は、若い世代のお手本でした。悪天候になると一層、慎重になる様子に、プレイが遅いと言われることも多かったのですが、 ショット前の手続きが入念であっても、およそ3時間15分でラウンドするのがつねだったといいますから、1970年代の基準に照らしても遅い方ではありません。現代の後輩、トレバー・イメルマンが2008年のマスターズに勝ったことを、もしロックが聞いても、最終日に5時間10分かけたことを褒めることはないでしょう。

海外では1938年のアイリッシュ・オープンをはじめ、ニュージーランド、オランダ、カナダ、フランス,エジプト、スイス、ドイツ のナショナル・オープンで勝ち、米ツアーでもホーガン、ネルソン、スニードと戦って3年間に公式戦59戦で11勝しています。1948年のシカゴ戦勝記念トーナメントで勝ったときの16打差は,現在でもツアー記録です。

ただ、当時のアメリカでは世界を飛び回るプレイヤーは好まれず、1949年にロックが全英オープンに勝った後、ヨーロッパに留まって、その間の米での数試合に出なかったことを理由に、米PGAはロックを規約違反としてツアーから永久追放しました。

ジーン・サラゼンはそのことを、「この30年間にゴルフ界でなされた最も恥ずべき決定」と評しました。追放措置は2年後の1951年に解除されましたが、ロックはアメリカへ行かずにイギリスを拠点として活躍を続け、ライバルのピーター・トムソンらとしのぎを削りました。1949年、50年と全英オープンを連覇。3連覇はマックス・フォークナーに阻まれますが、52年にトムソンを破って勝ちます。トムソン3連覇のあとの57年にセント・アンドルーズでトムソンを3打差で下して4勝目をあげました。

1960年にヨハネスブルクに向かう途中での列車との衝突事故で重傷を負い、以後の競技生活が困難となったのは残念でした。1977年に世界ゴルフ殿堂入りしています。

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