元祖ゴルフフィットネス信奉者、G・プレイヤー

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ゲイリー・プレイヤー(Gary Jim Player、1935/11/1-)はゴルフ史上、もっとも国際的に活躍したプロゴルファーです。1952年にプロ転向して以来、船で、飛行機で世界を巡った距離は1200万マイル。地球を480周回る旅の途上、文字通り世界各地で163勝をあげています。母国南アフリカオープンには1956年から1981年までの25年間に5連勝も含む13勝。オーストラリアオープンに6勝。メジャー9勝。ジーン・サラゼン、ベン・ホーガンについでの生涯グランドスラム達成者です。

1959年に初勝利の全英オープンで3勝。マスターズでは1961年に初めての海外からのチャンピオンとなり3勝。全米プロには1962年と1972年に勝ち、全米オープンでは1965年、豪のケル・ネーグルをプレイオフで破って、南アフリカ出身者として初めて優勝を果たしました。メジャー優勝の最初の4勝でグランドスラムを達成しているのはG・プレイヤーとタイガー・ウッズだけです。

ペンシルヴェニア州のアロニミンクGCで全米プロに勝ったとき、すでに世界中で優勝を重ね、アメリカでも賞金王となっていましたが、その年は調子を落として全英オープンの出場権も得られず、試合ごとに長旅を繰り返す生活に嫌気がさし、エイジェントのマーク・マコーマック(IMG創設者)に「もう続けられない」とこぼしたといいます。しかし、瑞々しい緑のフェアウエイを歩くうちに、自分をこれまで突き動かして来た感覚と自信が蘇り、ボブ・ゴールビーを1打差で下しました。

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)が国際社会から非難されるさなかの1969年、オハイオ州デイトンでの全米プロでは、ギャラリーから終始、激しい野次を浴びせ続けられながら戦い抜き、勝者レイモンド・フロイドに1打差まで迫って終えました。そのことがどれだけ精神力を必要とすることかは、想像に難くありません。

続く1970年シーズンは護衛をつけて試合に出ました。アパルトヘイトへの非難に耐えてプレイを続けることこそ、ゲイリー・プレイヤー自身にとっての反アパルトヘイトの意思表示だったのでしょう。そうした行動の切っ先にいても、ゲイリー・プレイヤーはきわめて穏やかでした。それは、自身のゴルフへの思いに裏打ちされたものにほかならないでしょう。ゴルフに打ち込むゴルファーの精神的な強さを言うなら、それは単にゲームの中のミスや不調、勝利への欲望だけを言うのではないということなのだ、ということをゲイリー・プレイヤーは身をもって示したと言えるでしょう。

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170cm、69kgという体格でパーマー、ニクラスとともに“ビッグ・スリー・ゴルフ”と讃えられる時代を築くのは、ダイエットとトレーニングによる体調管理、体力作りの賜物。ゴルフにおいて、21世紀になってようやく常識となったフィジカル・フィットネスの重要性を50年前から実践していたのがゲイリー・プレイヤーです。ゴルフへの情熱と献身はいつでも讃えられる美徳ですが、それがフィジカル・フィットネスにつながらない限り、単に耳ざわりのよい空言ではないのかと私(元体育教師)は思います。試合に出続け,世界中の子どもたちに「自分のからだのために努力しろ」と説くゲイリー・プレイヤー。80歳になろうとするいまもパッションをフィットネスで体現する姿は、本当に偉大なモデルです。

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